『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の感想をだらーっと書きます
お、終わってしまった……。
正直こんなに徹底的に終わらせにくるとは思ってなかったので、びっくりしました。綺麗な終わりというのとはちょっと違って、ある意味での引導を渡すような念入りな終わらせ方。そこまでせんでも……と思いましたが、25年引っ張って拡散し切った世界を終わらせるにはこのくらい執拗にやる必要があったのかもしれません。とにかく宙ぶらりにされる状態が長く続いたシリーズなので、私は終わってくれてよかったと思います。できれば10年くらい前に終わって欲しかったとも思いますが……。
大人たちがようやく責任を取る姿勢を見せてくれて、正直めっちゃ今さら感もあるんですが、とにかくそこまで行ってくれたことがよかったです。一方的に思いを託して自爆するようなやり方でなく、ちゃんと応答のある引き継ぎが描かれるようになって、ようやくまともなコミュニケーションが描かれた感。シンジくんも含めて「落とし前をつける」ことが何度も強調されていて、それがシリーズを終わらせるという意味での落とし前とも重なりながら話の軸になっていたので、この一本に限って見れば作品としても一貫した作りになっていたと思います。一応、新劇シリーズ全体としてもちゃんとこの終わりに向かって進んでいて、Qでわちゃっと撹乱された状態からシンへの流れも続けて見ればスッと繋がると思うんですが、実際はその間の期間があまりに長く続いたので……。
もちろん終わり方への不満もあって、こういう素直で円満な終わり方にどうやっても辿り着けなかったのがエヴァの作品性だったはず。そういうシリーズを終わらせるなら、単に終わるのではなく、これまで終われなかった理由を乗り越える何かを提示した上での終わりでないと十分ではありません。過去を乗り越えるため、詰め込める限りの様々な試みがされていたとは思うのですが、それでもやはり唐突に感じる部分はあって、「この人にこのセリフを言わせるのはまだ早いのでは?」「話を終わらせるために急に物分かりよくなってない?」とか引っかかるところはちらほらありました。もう限界まで上映時間を使っていたと思うし、前半の第3村だけでもやはりあれだけの尺は必要だったと思うので、どうにもならなかったとは思うのですが……。
90年代当時は先鋭的に思えた作品性も、現代ではさすがに時代に追いつかれた感があります。無数のフォロワーを生んだ結果、25年の間にそのフォロワー自身に追い抜かれたところもあるでしょう。クライマックスで提示された結論にかつてのような先鋭性(に見えるもの)はなく、保守的とまでは言わずともかなりベタな着地点でした。まあ新規性はなくとも、25年の落とし前をようやくつけたという点では相応の落とし所だったのかなという風に捉えています。
こういう形で完結を迎えたエヴァはこれまでのエヴァよりもある面で確実に格を落とし、言ってみればダサくなったと思います。でもここまで引っ張った落とし前をつける意味で、この零落はしっかり引き受けるべきだし、自分としてもそうなることをどこかで望んでいた気がします。このタイミングでこの先25年引っ張るようなメチャクチャ先鋭的なエヴァを出されても困りますし……(今度こそ死んでしまいます)。それでも映像的な部分では常に最先端のものを見せつけてくれていたし、どんどん無茶になっていく作戦とも相まって特撮技法を取り入れるというテーマにも成功していたと見えるので、諸々踏まえてようやってくれたという気持ちです。
とにかく終わってしまったので、「終わってしまった……」と数時間おきに呻いています。完結編と銘打ったところで、今さらそんな簡単にエヴァを終わらせられるかいなと疑っていたのですが、まあ終わってしまいましたからね……。当然こんな終わりに納得のいかない人もいて、これからも終わらないエヴァンゲリオンに苦しみ続ける難民は現れると思うのですが、もう公式から新たな終わりが提示されることはないと示されてしまった以上、少なくとも態度の取り方は変わってきそうですよね……(それは何も良いことではなくない?)。
エヴァのことなのでコラボやらスピンオフやらは今後も何かと続くと思うんですが、一区切りついたことで今までよりは屈託なく見られるような気持ちになってきました。並行世界のエヴァとか並行世界のネルフとかが雑にガシガシ出てくるエヴァの大型ソーシャルゲームって今こそ頃合いだと思うので、大量の予算注ぎ込んで出してみたらいいんじゃないでしょうか(絶対に手を出さないぞ〜の気持ち)。
そのほか細かいこと(こっちの方が長い)
- あんまり積極的に前情報仕入れてなかったので、ジェットアローンどころか冒頭12分がだいぶ前から公開されてたのすら知らなかった……
- ケンケンの声が聞こえて、トウジの顔が映った時のものすごい安堵感
- Qから9年間張り詰めていた、自分でもあまり意識していなかった緊張感が一気に緩んだ瞬間で、思わず深いため息をついてしまった
- アスカとケンケンのシーン全般が良い
- 信頼はあるけど依存はしない、いい関係が築けているように見える
- 旧シリーズの頃から他者性を象徴する役割を与えられ続け、新劇で一人で立つ生き方を強調されていたアスカにとっては、これがいい落とし所だったと思う。昔から意識的に求めていたわけではなく、たどり着いたところという感じだけど
- 立ち直ったシンジに対して開口一番「ケンケンの役に立て!」が出てくるのが良い
- それにしてもアスカ……
- 宮村さんがQのインタビューで傭兵や武将のようにアスカを演じたと言っていて、この解釈はすごくしっくり来る(綾波武人説とかよく聞くけど、アスカはもっとストレートにそう)
- アイパッチは夏侯惇とか伊達政宗っぽいし、リデザインされた2号機頭部も兜の立物っぽい
- 青くさくてエリート意識の強い天才新兵が、14年の激戦を生き残ったことで泥くさいベテラン戦士にならざるを得なかった。メンタル状態がどうあれ、もうそんな理由では止まれない人間になってしまっている
- 片眼を失った(ように見える)のが象徴的で、完全無欠のエリートであらねばならないというアスカのアイデンティティはもう挫かれてしまったのだと思う。だからQ以降のアスカはマリとはまた別の理由で自損を厭わないし、平気で不恰好な姿*1になり、認められるためでなく勝つため、仕事を全うするために闘う*2
- アスカの重要な核だったエリート意識がすり潰された結果、3号機起動実験前にミサトに語った「人といるのは自分に合わない」とかの自己認識が最後に残った感じがする
- セリフを確認してみたけど、やはり「人といるのも悪くない(けど自分には合わない)」→人といたい奴がいるならエリートの自分が孤独を引き受けて守ってやる、という流れで3号機に乗ってる
- シンでも、第3村の人間らしい営みは自分には不要だからと、彼らの中に混じらず彼らを守るために闘う。一貫してる*3
- 起動実験前のミサトとの会話は「人といるのも悪くないから、これからはそういうことも楽しもう」という流れなんですが、この後全てがメチャクチャになってしまったからそれは叶わなかったんですよね……
- 心を擦り減らしてしまった結果ではあるし、幸福な状況とは言えないけど、人格を確立することには少なくとも成功していて、そういう生き方の中で距離感を保ちながら信頼して付き合える相手が同じく自立した大人で第三村とも少し距離のあるケンケンだったんですね……
- 新劇の序では家出したシンジくんとケンスケの会話シーンがオミットされてたけど、今回時と場所を変えて改めて長尺で再演された風にも見える
- そういえばトウジがシンジ殴った時もケンスケが間を取り持ってた
- 第三村は大災害後の世界を懸命に生き抜く普通の人たちが、所帯を持って農業をやって、というある種の保守的な光景が繰り広げられたけど、シンジもアスカもそこでは異物なわけで、このへんの描写から「お前らもいい加減所帯を持って地に足のついた労働をすべき」みたいなメッセージは読み取る必要はないと思う……
- むしろ、そういう生き方に暖かみを感じつつも辺縁から眺めるしかない人間の視点がやはり中心なんですよね
- 仮称アヤナミレイが可愛い
- なかなか立ち直れないシンジくんを尻目に彼女がどんどん人間性を培っていくのだけど、その期間が結果的にシンジくんの立ち直りとリンクしていて、無駄な足踏みの時間に見えない
- 働く概念を知ってあなたは働かないのって聞きまくるレイ、ゲンドウくんがばーさんばーさん言ってたのをナオコ博士に聞いてばーさんばーさんを連呼するレイ、そういうこと?
- カヲルくんの死と比べてレイの死に対するシンジくんの反応は演出的に淡白に見えるけど、人の死に立ち会ったとき泣くのでなく行動するようになった変化が端的に示されたシーンなので、これでいいと思う
- ニアサー、サード、WILLE設立、渚司令あたりの出来事なんも理解できてませんが、こういう設定周りはそのうち誰かが整理してくれると思うのであまり考え込まないようにする……
- 本当に親のことを黙ってるつもりなら親と同じ名前つけない方がいいと思う!!!
- 特にほかに絡みの描写のないミドリとサクラが、シンジに対する発砲シーンでだけちょっと通じ合ってる感じで「もういいよ」ってなるの、一瞬の尺で関係性が浮かび上がる表現で良い
- ミサトさんはQの時点でシンジくんと正面から向き合える大人にはなっていて、でも今度は状況や贖罪意識がそれを許してくれていなかった、というところが今回訴求的に確認できて安心した(不器用なのは相変わらずだけど、最後に間に合うのが偉い)
- 旧劇と同じくシンジくんを庇ってお腹を銃撃されたものの、なんかそれほど致命傷ぽくはなくて、最終的には自ら別の死に方を選んでるので過去を乗り越えた感ある(旧劇も直接の死因は銃創ではなく爆死やろとか言わない)
- 躊躇なく発砲するリッちゃん、旧劇では迂遠にやってしくじりましたからね……
- ゲンドウくんに付き添いつつ自分のやりたいようにやった冬月先生、今回のMVP
- 考えれば考えるほど良かったのが冬月先生で、自身の願いを持ちつつもそれをやり遂げるのは自分ではないと思い定めてゲンドウくんにやりたいようにやらせ、気合いでL結界に立ち続けて全てのお膳立てをきっちりこなしたところでやり遂げた顔で自壊する。マリや加持さん以上に自分の意思をまっとうしてたのでは?
- シンジくんとゲンドウくんの対話の糸口をQの時点で開いてたり、マリへの置き土産(ですよね?)としてエヴァシリーズ(エサ)を残していってたり、あくまで人に託すというスタンスでありつつも本当にやりたい放題やっている
- 貞本版読み返してたら「心の中で碇のことをあざわらっていた、すまなかった」みたいなこと言ってて、そういう諸々も踏まえつつ今回の冬月先生に至ったのかと思うと味わいが深すぎる
- これだけやっといてシンの中でほとんど唯一旧劇と(見た目上)同じ死に方をした人でもあり、自身自身を置き去りにしてでも碇を辿り着かせることを是とした風にも見えますね……
- 私は好きにした、君らも好きにしろ
- サイクロプスとかオプティックブラストって言われすぎたせいか本当に単眼巨人になってしまうゲンドウくん
- エヴァに乗ってどつき合うシンジくんとゲンドウくん
- この親子が正面向いてぶつかり合えばエヴァは終わる、それ自体は旧シリーズの頃から多くの人が思っていたはずだけど、それがどうしてもできなかったところにエヴァのエヴァっぽさがあったので、今回ベタな着地を見せたことに関してはエヴァがエヴァであることをやめてしまったような寂しさはあった
- それはそれとしてエヴァに乗ってどつき合うシンジくんとゲンドウくんが見たい! という気持ちがあったのも間違いなく、ひとしきり暴れた後に「話し合おう」とか完全に正しいこと言い出すところも含めて「こ、こいつら〜〜!(今さら!)」って身悶えしてた
- とにかくこの二人の正面対決いう概念自体が都合のいい夢の光景すぎたので、本当にそれを見せつけられてキツネにつままれたような気持ちになった
- シンエヴァは全編通してかなりそんな感じ(見たいけどエヴァでは見れんでしょって諦めてたベタなシーンの詰め合わせ)
- 知識とピアノだけが心の支えだったゲンドウくん、いくら何でも面白すぎる
- ネオンジェネシス、びっくりするくらいベタなタイトル回収でエヴァンゲリオンに止めを刺しにきた
- クライマックスで残酷な天使のテーゼ歌うのの次くらいにベタ
- テンポよくサヨナラしていくエヴァンゲリオン各機、途中からよくわからんのがポコポコ出てきてシュール
- エヴァのない世界やら28歳のアスカやら終盤のあれこれはあんまり読み解けてないのでまた見て考えます
- 旧劇をイメージした絵面がめちゃくちゃ出てきて嬉しい
- 甘き死よ来たれPVの印象も遂に上書きされてしまった
- 相変わらず実写演出はあったのだけど、旧劇とは意味合いがだいぶ変わってましたよね
- 鑑賞者に現実をむりやり見せつけてくる感じがあまりなくて、むしろ作中の人物が現実との垣根を取り払ってこちらに渡ってきたような印象
- この辺の細かい読み解きもエヴァンゲリオンイマジナリーとかの設定的な絡みを理解する必要がありそうなので、まあ保留
- 何にせよ、旧劇の「現実に帰れ」とか言いながら虚構の中で現実の復讐をしていくスタイルはそれこそ大人のやることではなかったので、その辺の落とし前もつけに来た感はありましたね
- 生々しい巨大綾波は演出意図はよく読み取れなかったけど……
- ラストの駅のホーム
- それぞれの行き先、ホームのこっち側とあっち側とかに注目しろってことなんだろうけど一回見ただけだとわりとうろ覚え
- このシーンを「公式がカップリングを固定してきた!」みたいな読み取り方するの、いくらなんでも……(カヲルとレイに至っては広義のカップリングですらなくない?)
- まあわざわざシンジくんとマリをあんな風に絡ませたんだし、「いい加減カップリング論争やめろ」的な意地の悪い含みを読み取ること自体はそう外れてもいないかも
- いろいろ唐突に感じつつも、もう自立して歩き出したキャラクターが視聴者の預かり知らぬところで自分の人間関係を築いている、という光景はわりと気持ちよかった(アスカとケンケンの関係とかも含め)
- たぶんもう何度か見に行くと思いますが、時節が時節なのでしばらくは間を開けようと思います。その間に旧の方を見直しますかね……
『ゲット・アウト』
ジャケット絵見て「椅子に括りつけられた状況で2時間がんばるソリッドシチュエーションホラーかな?」と思ってたけど、別にそういうのではありませんでしたね……(冒頭で背後から襲われて気絶させられるシーンあったので、そのまま目が覚めたら監禁されてるパターンなのかと思った)。
ホラーはホラーでも、極めてストレートな黒人差別を扱ったサスペホラーでした。昔ながらのプリミティブな黒人蔑視より数歩踏み込み、公平に接しているつもりで開口一番「黒人ならではの」みたいな礼讃をしてくる現代的な差別の在り方に焦点を当てていて、非常に居心地の悪い息苦しさがあります。周囲から孤立した一軒家とそこに集うコミュニティが舞台、というあたりから「田舎の因習」系ホラーの変形みたいな文脈を感じながら見てましたが、コミュニティの構成員が公的にも社会的地位の高い人間ばかりだったりして、雰囲気は独特ですね。
終始漂い続ける不穏な気配が徐々に蓄積していき、もう限界というところで遂に現実的な「危害」へと姿を変える爆発力は見事。そこからのホラーパートはどこかシュールな映像が続いていく感じで奇妙なんですけど、最後の最後にまた流れが変わって、カタストロフ半分カタルシス半分みたいなクライマックスに突入するのが面白かったです。被害者と加害者、という話の土台が一瞬ムチャクチャになって、次に何が起こるか全く分からない状況になるんですよね……。
最終的に後味は悪くないところに落ち着いて、ある意味元気の出るところもあったんですが、最後に助けてくれたのは結局彼だったわけで、横たわる断絶について安易な希望を一切示していないのが痛烈でもあります。後から振り返って重くのしかかるタイプの映画でした。
『幻想牢獄のカレイドスコープ』第3ゲーム 死刑囚:風華/ピエロ:火凛
第3ゲーム
- 死刑囚:風華
- ピエロ:火凛
- 断罪者:土麗美、水無
死刑囚の風華が開幕からハイスピードで激昂、自分以外は全員無能と全方位を罵倒してヘイトを買い、これを受けた断罪者土麗美が日頃の風華への鬱憤を吐き出してそのまま風華拷問刑の流れに。火凛と水無は二人に呑まれる形で静か。今回のルートは割とシンプルな展開で、ボリュームもやや短めに感じました。
風華は土麗美に心を開いていて、昔から彼女にだけは弱音や悩みを打ち明けていた一方、土麗美の方は風華のお姫様気質が腹に据えかねていたといった話。風華が水無を愛玩動物扱いしてたとか、まあそういう面は実際あったんでしょうけど、前回の土麗美の水無に対するあまりにあんまりな接し方を見てたので、土麗美……どの口で……という気持ちにはなりましたね……。自分も犬扱いしてたやん……。
今回で風華と土麗美の間の感情が判明したことで、4人の好き嫌いの関係性がひとまず埋まった感じですね。4人とも、一番好きな相手に一番嫌われていて、それが上手いこと輪になっている模様。風華→火凛→水無→土麗美→風華と嫌悪の矢印が向いていて、これを逆向きにすると好きの矢印になるみたいですね(水無→火凛の好意はここまであんまり描写なかったので不確実ですが)。
あと気になったのは、プロローグで風華から土麗美に渡された仮面ケンドーカードですかね。これまでのルートで出てきたのも同じカードだったと仮定すると、これは火凛→風華→土麗美→水無と持ち主を変えてきたことになります。見えてる範囲だと「好き」の矢印に一致するので、受け取った方からすれば嫌いな人から渡されたものになり、別の人に押し付けてるという流れになるんでしょうか。このあと水無から火凛に手渡されるエピソードもありそうな気がしますね。それが話にどう効いてくるのかは不明ですが……。
『レベル16』
女性の美徳は清潔と従順、悪徳は好奇心と唱えながら毎日あやしいビタミン剤を飲まされ続ける激ヤバ管理空間で生活する少女どうしの友情もの、基本的には耽美で陰惨な少女地獄だけど終盤でなんか文脈が変わってフィジカルになります。なんで? 私このところ終盤でいきなりパワープレイに切り替わる映画に連続で当たりすぎじゃありませんか?*1 パワープレイは好きですが……。
露骨にディストピア的な管理社会、SFオチかな? と最初は思ったんですが、よくよく見ていくとその管理っぷりがえらくしょっぱくて、よくある「商品価値のある美しく従順な少女」の最悪養成機関だとしてもやり方がチープ。映画が低予算とかそれ以前にこの管理環境自体の経営が露骨に苦しそうで、あれ? これそういう話? と訝しんでたら実際そういうお話でした。「冷厳で残酷な法則に支配される薄幸の少女たち」という悲劇的で耽美な風に見えていた光景が実はもっと安っぽくてしょうもないハリボテだったと明かされる幻滅感と、そんな空想を環境ごとぶち壊すカタルシスで出来た映画でしたね……。
あと終盤に差し掛かるくらいのところで、なんかもう話が終わっちゃいそうなポイントありましたよね? あそこでそのまま逃げて終わってた方が幻想性と想像の余地を残す綺麗な結末になってたはずなんですけど、あえて引き返してまで裏の裏まで暴いて別種の結末に至る感じ、「この扉を開けたらグッドエンドだけど、まだ時間残ってますね。戻ってもう少し探索しますか?」ってGMから確認されるやつみたいでした。蛇足なんですが、この映画の場合は蛇足あってこそなので、よかったと思います。
*1:直近でヴァイオレット・エヴァーガーデンを見ていたのでこんなことを言っています。
『幻想牢獄のカレイドスコープ』第2ゲーム 死刑囚:土麗美/ピエロ:風華
第2ゲーム
- 死刑囚:土麗美
- ピエロ:風華
- 断罪者:火凛、水無
1周目と逆のチョイスにしてみました。断罪者の水無が土麗美に死刑宣告するも、もう一人の断罪者である火凛が拷問を執行せず、水無を道連れにした全滅を選択。やっぱり全滅エンドもあるんですね……。ピエロの風華が大人しかったのは、自分が死ぬ可能性がある時にリスクを取るような人ではなかったということでしょうか。
死刑囚になった土麗美は最初からハイスピードでキレてたけど、特定の誰かに対する根深い恨みみたいなのは出てきませんでしたね。本当にただキレてただけでピエロの風華を陥れようとするムーブもしなかったし、あれだけ率先して罵詈雑言吐いたにも関わらず「仲良しだったはずの4人組があっという間に……」とかエモーショナルな独白で締めようするし、味わい深い感じはありました。
水無のことはなかば犬扱いしつつも、本当に可愛がる気持ちもあったような描写ですね。でもエピローグを見てると虚言の気がありそうだったし、ラストの態度も含めてだいぶ食わせ者の感。牛丼への歪んだ愛情がどうこう抜きに異常者では……。
前回風華からの情報で触れられた通り、火凛→水無へのネガティブな感情は一貫しているようですね。誰もが誰もに火種を抱えているというよりは、特定の組み合わせに地雷が埋まってる感じなんでしょうか。まあ売り言葉に買い言葉で罵り合うくらいはどの組み合わせでもやりそうだし、ある程度のネガティブ感情は全員がほぼ全員に対して持ってそうですけど。
今回は前回の風華・火凛と違って、日常パートも水無→土麗美への不信感を裏付けるエピソードだったので、回想部分でも安心は出来なさそうです。悲しい物語でしたね……(かなり土麗美の自業自得では?)。
『プリンセス・プリンシパル Crown Handler 第1章』
19世紀末の架空のロンドンを舞台にしたスチームパンク・スパイアクション。2017年に放送されたTVアニメの新作劇場版で、6部作予定の第1弾です。
TVシリーズは黒星紅白さんの可愛らしいキャラクーを中心に据えつつも、国家権力の権謀術数とそれに踊らされた人間の非業の末路を描いていく直球のスパイものでした。人が容赦なく死んでいくシビアな話ではあるんですが、無闇な残酷趣味に走ることはなく、ハードボイルドな暗闘の中で少女たちの繊細な叙情性を強調していく好シリーズだったので、劇場版も楽しみにしていました。
TV版のクライマックスで状況が大きく動いていたのでどうなるものかと思っていましたが、とりあえずは元の鞘に収まることができたようで、主人公チームによる一話完結のスパイミッションといういつもの形式が展開されました。劇場シリーズのための仕切り直しという感じのスタンダードな回でしたが、映画クオリティの上に1話あたりのボリュームも増していて、流石に見応えがあります。
話の要点は完全にチェスで、「内心を隠した者同士がチェスの対局を通した心理戦で相手の手の内を探り合うやつがやりたい!」というスタッフの気持ちがよく伝わってきました。物語の転機となる対局シーンを格好良く見せるために構成されたシナリオという感じで、上手く決まっていたと思います。こういうのは指し手の 2人の心理戦となるのが定番ですが、観戦に来たノルマンディー公がめちゃくちゃ圧をかけてきて三つ巴みたいな構図になるのが面白かったですね(結局公の一人勝ちみたいになっててひどかった)。
6部作としてはいくつかの伏線が撒かれるにとどまったので、話が大きく動くのは次回の第2章になりそうです。共和国のコントロール、王国のノルマンディー公に次ぐ第三勢力を絡めつつプリンセスの王位継承を巡ってあれこれやっていく話になりそうで楽しみなんですけど、心配なのはこれ本当に完結できるのかな……というところ。2019年の公開予定が伸び伸びになり、ようやく封切りとなったもののこの時節では人の入りは心許なさそう。良いアニメなので、どうにか最後まで見届けたいのですが……。
メギド72「恋は拷問、愛は処刑」
タイトル公開時は「また混ぜたらいけないものを混ぜて!」と思いましたが……ものすごく綺麗にまとまっててびっくりしました。拷問要素も無理矢理ねじ込んだ感がなく、「恋」と「拷問」で二題囃をやるなら確かにこうなる、という絡ませ方でしたね。今後アジトではキューティーヴァイオレンスナンバー5の恋バナが花開くんでしょうか……(怖い)。
フルカスの比重が大きめではありましたが、アラストールも対の存在としてすごく噛み合ってたと思います。アラストールのナブールに対する感情はもう少しオブラートに包んでぼかすものかと思ってましたが、直球で恋と明言しててきて迫力がありました。結果的に「つまらない男に恋をしてしまった二人のメギド」といういい感じの構図に落とし込まれて、しかもその男を二人で埋める話までやっちゃったりして、なんか凄いところまで連れてこられちゃった感じですね……。
デカラビア後編以来、良いイベントシナリオが立て続けに出てきていて嬉しいんですが、たまたまなのか、それとも何かしら理由があるのかは気になるところです。新プロデューサーへの移行が一通り済んで、新しい体制がぼちぼち回り始めた結果なんだとすれば、先の見通しは結構明るく感じるのですが……。
そのほか
- 抵抗感があったはずなのに異常な説明を聞いてるうちに「拷問も奥が深いんだな……」ってなるソロモン、素直すぎて心配になる
- 今回の一件で「恋とは苦いものなのだな、勉強になった」って納得してるウァレフォルも大丈夫?
- ゼパルは初期リジェネでシナリオもらった関係でその後は出番が少ない印象でしたけど、今回は恋バナ回ということで脇役として良い動きをしてましたね。ゼパルはあの通り面食いなわけですが、ムース化したナブールになお執着するフルカスのことを「こんなべちょべちょな奴にあんなこと言えるなんて情熱的」と好意的に評したあたり、他人の恋バナをちゃんと大事にする性格が出てて良いキャラ解釈だったと思います。