メギド72「この手にかつての栄光を」
https://megido72-portal.com/ev/20210430
- リジェネオリエンス、バレット切れた時にツルハシ振り回す感じの実装して欲しい
- アガシオンに壺のあるなしで差分ありましたけど、メギドの立ち絵としては贅沢な扱いですね(差分ないと流石に話も話わからないので仕方ない)
- ネビロスのデザイン繋がりと思われる西部風BGMでテンション上がったけど、本編は特に西部劇要素ありませんでしたね……
話の繋がりがすっきりしていて余分がなく、綺麗な構成のシナリオでしたね。新規メギドのネビロスとアガシオン、ネフィリムのリジェネレイトを自然な流れで抑えつつ、話の軸は「道具の在り方」というテーマでまとまっている。メギドのイベントシナリオは複数のテーマを合体させて組み合わせの妙で面白味に繋げてるケースも多いですが、今回みたいなのもこれはこれでよいと思います。
「道具は体の延長であるべき」という話が繰り返されますが、線引きの答えを示そうとしてるわけでもないのがメギドらしいですね。ネルガル、タムスとか呼んできても全員違うこと言いそう。肉体原理主義かと思いきやマルチネにバーニアを活用させるような柔軟性のあるハックも面白いこと言ってくれそうなので、何か絡みあればいいなと思います(この話題を引っ張るとも思えませんが、マキーネ周りの話はしばらく続きそうだし……)。
アガシオン周りが「壺から出て自立するのが正しい」ではなく「壺の中に入ってるやつがいてもいい」という結論に落ち着いたのはひと安心でした。ことさら誘導があるわけでもありませんが、障害福祉や補装具が容易に射程に収まる話題だったので……。これを言い出すのが「便利なものは危うい*1」論者であるアンドレアルフスなのも絶妙で、既存キャラクターのチョイス含めてやはりまとまりの良い回でした。出番ひさびさのマルバスがずいぶん大人しかったので、そこは次回に期待ですね……。
*1:6章2節のポータル周りへの言及
『ロブスター』
独身者が「社会的義務を果たさぬ人間未満の存在」として迫害されるディストピア社会を舞台にした風刺映画、という理解でいいんでしょうか。脱走した独身者で結成されるゲリラ組織も逆方向に極端な恋愛禁止サークルだし、作中で描かれる恋愛様式自体も「自分と相手の共通点を探す」以外の発想が一切存在せずどこか妙ちきりん。ビジュアル上はなんの変哲もない現代社会なので、なおさら歯車の噛み合わせが狂った並行世界のような味わいがあります。
独身者を集めてパートナー探しをさせる強制収容制度、カップルにあれこれ吹き込んで恋仲に亀裂を入れる嫌がらせを大真面目な「襲撃作戦」として決行する独身者ゲリラなど、「そうはならんやろ」という間の抜けた要素が意図的に散りばめられていて、設定だけ読むと完全にバカ映画です。にも関わらず、演出上は終始上品で緊張した雰囲気が貫かれているので、ツッコミ不在の何とも言えない気持ちのままラストまで運ばれるのが絶妙でした。独身者収容所への登録時、ホモセクシャルとヘテロセクシャルは一応選べるけどバイセクシャルの選択肢は管理の都合で廃止になりました、と言われる冒頭のシーン、一応多様性に配慮してますよの姿勢だけは見せるけど実態に対してはとことん無頓着という運用がアホくささの極まるいい風刺になってて好きです。
メギド72「そして灯火は静かに消える」
https://megido72-portal.com/ev/20210331
背を向けるようなマスティモのポーズに続き、自身の身体(と燭台(?))を真横から見せるデザインのウコバク。一枚絵の中の物語性が強いし、影絵に映えるからイベントのテーマにもマッチする良いデザインでしたね。
メギドとヴィータの感情には依然よくわからないところが多いですが、今回はそこに踏み込んだシナリオだったように思います。基本的に「力こそ全て」になりがちなメギドの価値観には文化や情の要素が薄く、一方のヴィータには多様な文化や不合理な感情を尊ぶ気風がある。これだけなら話は単純ですが、メギドには「個」という重要な核があり、「個」が規定する強い個性の前では凡百のヴィータはむしろ無個性な群衆として描写されがちです。
「メギドの画一性とヴィータの多様性」を強調するか、「メギドの奇抜さとヴィータの凡庸さ」を強調するかは話の都合でどっちに転ぶこともあるので、割り切った構図で捉えるのは難しいところがありました。恋愛は基本的にヴィータ的な感情だけど、特定の対象に異常な執着を抱くのはむしろメギド味が強いみたいな。このねじれに加えて「ヴィータ体を取ったメギドはヴィータに寄る」みたいな話もあるので、メギドとヴィータの感情の決定的な差異がどこにあるかという話題はこれまで結構煙に巻かれがちだったと思います。
でも今回、「どちら由来の感情か分からない」ボーダーな事例がかなりはっきり示されたことで、構図としてはかえって整理された感がありますね。それに並行して、「ヴィータ的感情でありながらヴィータ社会で忌避されているねじくれた概念であるところの近親恋愛の概念をスッと挿し込んで、特に具体的な言及をすることなく読者それぞれの認識に合わせた「察し」を発生させてるところも上手かっだと思います(それを単純に「メギドの非倫理性」と捉えるか、「時に不当な道徳観念に囚われるヴィータと、その先入観から自由なメギド」と捉えるかが読み手に委ねられている)。
その一方で「自分にはヴィータ的な感情が本当のところは分からない」とか言ってるフォラスが最後ああいうベタな着地になるのもいい対比でした。「NTRはヴィータ的感情」って理屈としては意味がわかりませんが、なんか納得してしまう説得力がありましたよね……。
『幻想牢獄のカレイドスコープ』第4ゲーム 死刑囚:火凛/ピエロ:土麗美
第4ゲーム
- 死刑囚:火凛
- ピエロ:土麗美
- 断罪者:風華、水無
1周目で選んだ死刑囚:水無/ピエロ:火凛とちょっと似たパターンで、風華が火凛を断罪して拷問まで持っていく流れ。断罪者に水無がいたもののピエロの土麗美に矛先が向くことはなく、死刑囚の入れ替わりが起きなかった点ではストーレトな展開でしたが、いろいろ珍しいことが起こりました。
いちばん大きかったのは空くんの情報ですかね。竜騎士さんと多少絡みのある俳優の春名風花さんが謎の少年に声を当ててることは知ってたんですが、劇中でその存在に触れられたのは初めてです。てっきり檻の中で吊られてる少年のことだと思ってたので、小学生の頃に仲が良かった5人目の友達だったというのは不意打ちでした。檻の中の少年と何らかの関係がありそうな気はするんですが、年齢が合わなそうなので成長が止まってるとかのアクロバティックな辻褄合わせが必要そうです。風華→空→火凛という片想いラインが明かされて、仲良し4人組の不和の源泉にも絡んでそうな雰囲気が出てきました。
ゲームの展開もちょっとこれまでにないパターンで、いったん全員が矛を収めて協力体制になったので「あれ、思ったより良いとこまで行っちゃう?」とハラハラしました(勿論そうはならなかった)。結果的には風華が火凛を裏切って彼女が死ぬまで拷問を続けた形ですが、「拷問を終えた後でピエロと死刑囚を入れ替えれば全員助かるかも」は今後また使われそうな情報ですね(そんな上手くいかない気はしますが……)。
『ガールズ&パンツァー 最終章 第3話』
曳光弾と照明弾がカッコいい&光に目をすぼめる西住殿がセクシー。セクシー? なんか不穏でいいと思う。夜戦で映える光の表現が際立ってましたね。
知波単学園に追い詰められて遂に撃破される西住殿を見せつつ実はトラップでしたという流れでその可能性を予感させながら、次の継続高校戦で本当に早期退場してしまう西住殿を叩きつける鮮やかな引き。桃ちゃんが名実ともに指揮を取る展開はきっとあるだろうと思っていたので、頃合いな感じはしますね。
知波単にはネームドの子が沢山いて、チーム全体としての成長や福ちゃんvsアヒル殿の戦いなど見どころも沢山あって賑やかでしたね。一方の継続高校は人の気配がすごく希薄で、他チームのようなモブの顔出しすらないのが不気味。ステルス的な戦い方を踏まえてのことだと思いますが、やや寂しい気もするので次回攻勢を打つタイミングとか試合終了後とかにドワッと顔出しがあれば嬉しいです。いちばんいいとこで顔出すのはシモ・ヘイヘだと思いますが……。
その他のチームの勝敗も順当な感じではありましたが、あれですね。先に持ち曲がかかって盛り上がった方が負ける流れ。もっと言うと、現実的にはホームっぽいマップで戦える方がどう考えても有利ですが、お話の魅せ方的にはホームを取れた方が毎回負ける展開になってる気がします。次回の黒森峰vs聖グロ戦はさすがにどっちが勝つか読めない見せ方になると思いますが……。大洗は聖グロに一度も勝てたことがないので、そういう意味では既に一度決着のついた黒峰森より聖グロが本命なのでしょうか。姉妹間の決着とは別に、母上とのケジメは今後何かしらあるとは思うのですが……。
メギド72「奇妙な蒐集家ルキフゲス」
ちょい間が空きましたがルキフゲスイベント(ホワイトデーイベント?)の感想です。
改めて見ると直球なタイトルですね……。とにかく配布メギドであるルキフゲスの変人ぶりを軸に回していくシナリオでした。洞窟に眠る遺物や事件の真相なんかもルキフゲスとの絡みを生むためにセッティングされた感があり、そのシチュエーションの上でリジェネ枠のジルベール・シャミハザやバールゼフォン、衣装枠のフェニックスとアリトンなどが動いていく。展開としてはあっさり目のシナリオですが、脇役たちが程よく自然に話に絡んでいけている点で完成度は高いし、何よりルキフゲスの味付けが異様に濃かったので、物足りなさは感じませんでした。良質な「メギドの変なシナリオ」でしたね……。2021年のメギド、ここまでつぶ揃いなのでこの調子で進んでいってほしいです。
ルキフゲスの紹介が出た時は遺跡発掘や骨董品を扱うシナリオなのかと思いましたが、なんかそういうのではなかったのでまた次の機会に期待。現実の専門性とストレートに戦うのは避けて、ちょっとモチーフをずらした感じがありますね。そのぶんキャラが立って良かったと思います。ルキフゲスガイズは一体何?(ホワイトデーイベントだからルキフゲスガイズを出してみた、なんの説明にもなっていない)。
おシャミはリジェネ前後で色合いがあんまり変わらないタイプのリジェネだなと感じましたが、今回は槍と小手の変化に焦点が当たってるということで納得(よく見たら服の模様も変わってるけど……)。シャミハザというよりジルの変化が中心でしたが、その辺はキャラストの方で言及がありました。異様なインパクトに反してあまり出番のなかったヤリスキーさんにはそのうち再登場してもらいたいですね……。
ホワイトデー部分
ルキフゲスガイズはともかくとして、ホワイトデー衣装はかなり殺しにきてたと思います。とりあえず私はおフェニの服を買いました。期間内に手元が狂ったらアリトンも買ってしまう可能性があります。怖いですね。
贈り物の相手は悩みましたが、最終的にブネ、ハック、サブナック、アガレス、ラウムを選びました。愛着があり、なおかつ戦闘でもそれなりに世話になっているところからのチョイスですね。使用頻度だけならフォラス、顔だけならアマゼロトなんかも挙がって来るんですが、贈り物の相手としてはなんか違う気がしたので……。ウァプラ、プルソン、フェニックスあたりも迷ったので、来年同じ企画があればローテーションしてあげたいです。
ルキフゲス メギドストーリー
こっちも勢いで読んでみたんですが、すごい良かったですね……。近しい人物の死に慣れていない、少なくともゆっくりと向き合う経験のなかったルキフゲスが、ヴィータの見様見真似で形だけ似せた「弔い」をやる。終始「なるほど、わからん」みたいなことを言いながら、でもメギドでなくたって故人との向き合い方なんて人それぞれなので、そういう意味では十分に彼なりの弔いはできていたという話なのだと思います。あと、弔い自体がやっぱりある種ヘンな風習なわけで、合理的な説明がつくわけでもない。そういうところをメギドであるルキフゲス視点で追認できたのも良いですね。地味にかなりホワイトデーっぽい内容でもあったので、ここまで読んでようやく本当にイベントが終わった感がありました。ルキフゲスガイズの謎は深まりましたが……。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の感想をだらーっと書きます
お、終わってしまった……。
正直こんなに徹底的に終わらせにくるとは思ってなかったので、びっくりしました。綺麗な終わりというのとはちょっと違って、ある意味での引導を渡すような念入りな終わらせ方。そこまでせんでも……と思いましたが、25年引っ張って拡散し切った世界を終わらせるにはこのくらい執拗にやる必要があったのかもしれません。とにかく宙ぶらりにされる状態が長く続いたシリーズなので、私は終わってくれてよかったと思います。できれば10年くらい前に終わって欲しかったとも思いますが……。
大人たちがようやく責任を取る姿勢を見せてくれて、正直めっちゃ今さら感もあるんですが、とにかくそこまで行ってくれたことがよかったです。一方的に思いを託して自爆するようなやり方でなく、ちゃんと応答のある引き継ぎが描かれるようになって、ようやくまともなコミュニケーションが描かれた感。シンジくんも含めて「落とし前をつける」ことが何度も強調されていて、それがシリーズを終わらせるという意味での落とし前とも重なりながら話の軸になっていたので、この一本に限って見れば作品としても一貫した作りになっていたと思います。一応、新劇シリーズ全体としてもちゃんとこの終わりに向かって進んでいて、Qでわちゃっと撹乱された状態からシンへの流れも続けて見ればスッと繋がると思うんですが、実際はその間の期間があまりに長く続いたので……。
もちろん終わり方への不満もあって、こういう素直で円満な終わり方にどうやっても辿り着けなかったのがエヴァの作品性だったはず。そういうシリーズを終わらせるなら、単に終わるのではなく、これまで終われなかった理由を乗り越える何かを提示した上での終わりでないと十分ではありません。過去を乗り越えるため、詰め込める限りの様々な試みがされていたとは思うのですが、それでもやはり唐突に感じる部分はあって、「この人にこのセリフを言わせるのはまだ早いのでは?」「話を終わらせるために急に物分かりよくなってない?」とか引っかかるところはちらほらありました。もう限界まで上映時間を使っていたと思うし、前半の第3村だけでもやはりあれだけの尺は必要だったと思うので、どうにもならなかったとは思うのですが……。
90年代当時は先鋭的に思えた作品性も、現代ではさすがに時代に追いつかれた感があります。無数のフォロワーを生んだ結果、25年の間にそのフォロワー自身に追い抜かれたところもあるでしょう。クライマックスで提示された結論にかつてのような先鋭性(に見えるもの)はなく、保守的とまでは言わずともかなりベタな着地点でした。まあ新規性はなくとも、25年の落とし前をようやくつけたという点では相応の落とし所だったのかなという風に捉えています。
こういう形で完結を迎えたエヴァはこれまでのエヴァよりもある面で確実に格を落とし、言ってみればダサくなったと思います。でもここまで引っ張った落とし前をつける意味で、この零落はしっかり引き受けるべきだし、自分としてもそうなることをどこかで望んでいた気がします。このタイミングでこの先25年引っ張るようなメチャクチャ先鋭的なエヴァを出されても困りますし……(今度こそ死んでしまいます)。それでも映像的な部分では常に最先端のものを見せつけてくれていたし、どんどん無茶になっていく作戦とも相まって特撮技法を取り入れるというテーマにも成功していたと見えるので、諸々踏まえてようやってくれたという気持ちです。
とにかく終わってしまったので、「終わってしまった……」と数時間おきに呻いています。完結編と銘打ったところで、今さらそんな簡単にエヴァを終わらせられるかいなと疑っていたのですが、まあ終わってしまいましたからね……。当然こんな終わりに納得のいかない人もいて、これからも終わらないエヴァンゲリオンに苦しみ続ける難民は現れると思うのですが、もう公式から新たな終わりが提示されることはないと示されてしまった以上、少なくとも態度の取り方は変わってきそうですよね……(それは何も良いことではなくない?)。
エヴァのことなのでコラボやらスピンオフやらは今後も何かと続くと思うんですが、一区切りついたことで今までよりは屈託なく見られるような気持ちになってきました。並行世界のエヴァとか並行世界のネルフとかが雑にガシガシ出てくるエヴァの大型ソーシャルゲームって今こそ頃合いだと思うので、大量の予算注ぎ込んで出してみたらいいんじゃないでしょうか(絶対に手を出さないぞ〜の気持ち)。
そのほか細かいこと(こっちの方が長い)
- あんまり積極的に前情報仕入れてなかったので、ジェットアローンどころか冒頭12分がだいぶ前から公開されてたのすら知らなかった……
- ケンケンの声が聞こえて、トウジの顔が映った時のものすごい安堵感
- Qから9年間張り詰めていた、自分でもあまり意識していなかった緊張感が一気に緩んだ瞬間で、思わず深いため息をついてしまった
- アスカとケンケンのシーン全般が良い
- 信頼はあるけど依存はしない、いい関係が築けているように見える
- 旧シリーズの頃から他者性を象徴する役割を与えられ続け、新劇で一人で立つ生き方を強調されていたアスカにとっては、これがいい落とし所だったと思う。昔から意識的に求めていたわけではなく、たどり着いたところという感じだけど
- 立ち直ったシンジに対して開口一番「ケンケンの役に立て!」が出てくるのが良い
- それにしてもアスカ……
- 宮村さんがQのインタビューで傭兵や武将のようにアスカを演じたと言っていて、この解釈はすごくしっくり来る(綾波武人説とかよく聞くけど、アスカはもっとストレートにそう)
- アイパッチは夏侯惇とか伊達政宗っぽいし、リデザインされた2号機頭部も兜の立物っぽい
- 青くさくてエリート意識の強い天才新兵が、14年の激戦を生き残ったことで泥くさいベテラン戦士にならざるを得なかった。メンタル状態がどうあれ、もうそんな理由では止まれない人間になってしまっている
- 片眼を失った(ように見える)のが象徴的で、完全無欠のエリートであらねばならないというアスカのアイデンティティはもう挫かれてしまったのだと思う。だからQ以降のアスカはマリとはまた別の理由で自損を厭わないし、平気で不恰好な姿*1になり、認められるためでなく勝つため、仕事を全うするために闘う*2
- アスカの重要な核だったエリート意識がすり潰された結果、3号機起動実験前にミサトに語った「人といるのは自分に合わない」とかの自己認識が最後に残った感じがする
- セリフを確認してみたけど、やはり「人といるのも悪くない(けど自分には合わない)」→人といたい奴がいるならエリートの自分が孤独を引き受けて守ってやる、という流れで3号機に乗ってる
- シンでも、第3村の人間らしい営みは自分には不要だからと、彼らの中に混じらず彼らを守るために闘う。一貫してる*3
- 起動実験前のミサトとの会話は「人といるのも悪くないから、これからはそういうことも楽しもう」という流れなんですが、この後全てがメチャクチャになってしまったからそれは叶わなかったんですよね……
- 心を擦り減らしてしまった結果ではあるし、幸福な状況とは言えないけど、人格を確立することには少なくとも成功していて、そういう生き方の中で距離感を保ちながら信頼して付き合える相手が同じく自立した大人で第三村とも少し距離のあるケンケンだったんですね……
- 新劇の序では家出したシンジくんとケンスケの会話シーンがオミットされてたけど、今回時と場所を変えて改めて長尺で再演された風にも見える
- そういえばトウジがシンジ殴った時もケンスケが間を取り持ってた
- 第三村は大災害後の世界を懸命に生き抜く普通の人たちが、所帯を持って農業をやって、というある種の保守的な光景が繰り広げられたけど、シンジもアスカもそこでは異物なわけで、このへんの描写から「お前らもいい加減所帯を持って地に足のついた労働をすべき」みたいなメッセージは読み取る必要はないと思う……
- むしろ、そういう生き方に暖かみを感じつつも辺縁から眺めるしかない人間の視点がやはり中心なんですよね
- 仮称アヤナミレイが可愛い
- なかなか立ち直れないシンジくんを尻目に彼女がどんどん人間性を培っていくのだけど、その期間が結果的にシンジくんの立ち直りとリンクしていて、無駄な足踏みの時間に見えない
- 働く概念を知ってあなたは働かないのって聞きまくるレイ、ゲンドウくんがばーさんばーさん言ってたのをナオコ博士に聞いてばーさんばーさんを連呼するレイ、そういうこと?
- カヲルくんの死と比べてレイの死に対するシンジくんの反応は演出的に淡白に見えるけど、人の死に立ち会ったとき泣くのでなく行動するようになった変化が端的に示されたシーンなので、これでいいと思う
- ニアサー、サード、WILLE設立、渚司令あたりの出来事なんも理解できてませんが、こういう設定周りはそのうち誰かが整理してくれると思うのであまり考え込まないようにする……
- 本当に親のことを黙ってるつもりなら親と同じ名前つけない方がいいと思う!!!
- 特にほかに絡みの描写のないミドリとサクラが、シンジに対する発砲シーンでだけちょっと通じ合ってる感じで「もういいよ」ってなるの、一瞬の尺で関係性が浮かび上がる表現で良い
- ミサトさんはQの時点でシンジくんと正面から向き合える大人にはなっていて、でも今度は状況や贖罪意識がそれを許してくれていなかった、というところが今回訴求的に確認できて安心した(不器用なのは相変わらずだけど、最後に間に合うのが偉い)
- 旧劇と同じくシンジくんを庇ってお腹を銃撃されたものの、なんかそれほど致命傷ぽくはなくて、最終的には自ら別の死に方を選んでるので過去を乗り越えた感ある(旧劇も直接の死因は銃創ではなく爆死やろとか言わない)
- 躊躇なく発砲するリッちゃん、旧劇では迂遠にやってしくじりましたからね……
- ゲンドウくんに付き添いつつ自分のやりたいようにやった冬月先生、今回のMVP
- 考えれば考えるほど良かったのが冬月先生で、自身の願いを持ちつつもそれをやり遂げるのは自分ではないと思い定めてゲンドウくんにやりたいようにやらせ、気合いでL結界に立ち続けて全てのお膳立てをきっちりこなしたところでやり遂げた顔で自壊する。マリや加持さん以上に自分の意思をまっとうしてたのでは?
- シンジくんとゲンドウくんの対話の糸口をQの時点で開いてたり、マリへの置き土産(ですよね?)としてエヴァシリーズ(エサ)を残していってたり、あくまで人に託すというスタンスでありつつも本当にやりたい放題やっている
- 貞本版読み返してたら「心の中で碇のことをあざわらっていた、すまなかった」みたいなこと言ってて、そういう諸々も踏まえつつ今回の冬月先生に至ったのかと思うと味わいが深すぎる
- これだけやっといてシンの中でほとんど唯一旧劇と(見た目上)同じ死に方をした人でもあり、自身自身を置き去りにしてでも碇を辿り着かせることを是とした風にも見えますね……
- 私は好きにした、君らも好きにしろ
- サイクロプスとかオプティックブラストって言われすぎたせいか本当に単眼巨人になってしまうゲンドウくん
- エヴァに乗ってどつき合うシンジくんとゲンドウくん
- この親子が正面向いてぶつかり合えばエヴァは終わる、それ自体は旧シリーズの頃から多くの人が思っていたはずだけど、それがどうしてもできなかったところにエヴァのエヴァっぽさがあったので、今回ベタな着地を見せたことに関してはエヴァがエヴァであることをやめてしまったような寂しさはあった
- それはそれとしてエヴァに乗ってどつき合うシンジくんとゲンドウくんが見たい! という気持ちがあったのも間違いなく、ひとしきり暴れた後に「話し合おう」とか完全に正しいこと言い出すところも含めて「こ、こいつら〜〜!(今さら!)」って身悶えしてた
- とにかくこの二人の正面対決いう概念自体が都合のいい夢の光景すぎたので、本当にそれを見せつけられてキツネにつままれたような気持ちになった
- シンエヴァは全編通してかなりそんな感じ(見たいけどエヴァでは見れんでしょって諦めてたベタなシーンの詰め合わせ)
- 知識とピアノだけが心の支えだったゲンドウくん、いくら何でも面白すぎる
- ネオンジェネシス、びっくりするくらいベタなタイトル回収でエヴァンゲリオンに止めを刺しにきた
- クライマックスで残酷な天使のテーゼ歌うのの次くらいにベタ
- テンポよくサヨナラしていくエヴァンゲリオン各機、途中からよくわからんのがポコポコ出てきてシュール
- エヴァのない世界やら28歳のアスカやら終盤のあれこれはあんまり読み解けてないのでまた見て考えます
- 旧劇をイメージした絵面がめちゃくちゃ出てきて嬉しい
- 甘き死よ来たれPVの印象も遂に上書きされてしまった
- 相変わらず実写演出はあったのだけど、旧劇とは意味合いがだいぶ変わってましたよね
- 鑑賞者に現実をむりやり見せつけてくる感じがあまりなくて、むしろ作中の人物が現実との垣根を取り払ってこちらに渡ってきたような印象
- この辺の細かい読み解きもエヴァンゲリオンイマジナリーとかの設定的な絡みを理解する必要がありそうなので、まあ保留
- 何にせよ、旧劇の「現実に帰れ」とか言いながら虚構の中で現実の復讐をしていくスタイルはそれこそ大人のやることではなかったので、その辺の落とし前もつけに来た感はありましたね
- 生々しい巨大綾波は演出意図はよく読み取れなかったけど……
- ラストの駅のホーム
- それぞれの行き先、ホームのこっち側とあっち側とかに注目しろってことなんだろうけど一回見ただけだとわりとうろ覚え
- このシーンを「公式がカップリングを固定してきた!」みたいな読み取り方するの、いくらなんでも……(カヲルとレイに至っては広義のカップリングですらなくない?)
- まあわざわざシンジくんとマリをあんな風に絡ませたんだし、「いい加減カップリング論争やめろ」的な意地の悪い含みを読み取ること自体はそう外れてもいないかも
- いろいろ唐突に感じつつも、もう自立して歩き出したキャラクターが視聴者の預かり知らぬところで自分の人間関係を築いている、という光景はわりと気持ちよかった(アスカとケンケンの関係とかも含め)
- たぶんもう何度か見に行くと思いますが、時節が時節なのでしばらくは間を開けようと思います。その間に旧の方を見直しますかね……