『ひぐらしのなく頃に 罪滅し編』を"喜劇"という軸から考えてみる

というわけで"喜劇"です。
発売前の宣伝においても、製品の裏ジャケットにおいても、そしてゲーム開始時の編選択画面においても、とにかく"喜劇"であることが強調されてきたこの作品。本編では、レナさんの暴走をはじめとした悲劇がまるで"喜劇"であるかのように、底なしの邪悪さを持って描かれます。「それは喜劇」という売り文句の通り、本作において私たちプレイヤーは「惨劇に翻弄されるキャラクターを間抜けなピエロとみなし、ポップコーンを食べながら嘲り笑う地獄の悪魔たち」の役目*1を与えられることになります。この時点で、"喜劇"という言葉はとても悪趣味な趣向と言えるでしょう。
そして物語はやがて、爆弾化した教室という最後の舞台へ至ります。この時点で、ほとんど全ての人がこれから辿り着く最悪の結果を思い知らされ、確信したことでしょう。おそらくは教室が爆発して全員が死亡。たとえ状況が好転したとしても、圭一さんや他のメインキャラクターの数名は間違いなく命を落とし、物語はこれまで通り"惨劇"として幕を下ろすーと、それがプレイヤーの予想する結末です。"惨劇"という軸(あるいはジャンル)によって規定され、しかも八編ある内のまだ六編目でしかないこの作品に、それ以外のエンディングは絶対にありえないはずでした。
ところが、主人公の圭一さんとプレイヤーの絶望が最大限に高まった瞬間、つまりレナさんが圭一さんに鉈を振り上げたその瞬間に、物語の軸は反転します。圭一さんの窮地に突然駆けつける梨花ちゃんのあまりにも力強い姿と、絶望を否定するかのように鳴り響く勇壮なロックポップのBGM。希望を得た圭一さんは時限爆弾を解除してレナさんとの最後の対決に臨み、そして物語はまさかのハッピーエンド*2を迎えます。
この時点で既に、物語の軸は"惨劇"ではありません。鉈を振り回す狂気の少女に金属バットを構えた少年が立ち向かい、殴り合いの大立ち回りを通じて信頼を取り戻すという現実離れした非常識な展開、"燃え"という軸に取って代わられているのです。これはその直前までの鬱屈とした雰囲気からすると冗談(=喜劇)とすら言えるような、ありえない展開です。作外においても作中においても何度も繰り返し強調されてきた"喜劇"の本当の意味が、ここでやっと判明します。その悪趣味な"惨劇"を指すかと思われていた"喜劇"という言葉は、実は最後の破天荒な"燃え"展開をも示すダブルミーニングだったのです。
キャラクターの目的や正体、事件の犯人や真相をミスリードするという試みは、さまざまな物語のさまざまな箇所で用いられています。けれどこの作品では、そのミスリードが物語の軸というメタミステリーすら越えたレベルで行われていると言えるでしょう。惨劇の物語から燃えの物語へ、ジャンルシフト、あるいはジャンルトリックと呼べるような試みが、この『罪滅し編』なのです。
もちろん、こういった試みが誰からも賞賛されるわけではありません。ジャンルを途中で変えるというのは、つまりミステリーとして書かれた作品を解決編のみホラーにしてしまうようなものですから、「自分が期待していたのはホラーじゃない」と反感を持つ人がきっといるでしょう。この『罪滅し編』で言うなら、「自分は熱いハッピーエンドなんかではなく悪趣味な惨劇を期待していたのに」となるのでしょうか。けれどもしこのオチがツボにはまれば、普通の構造の物語では到底味わえないような衝撃を得られることもたしかです。こんな無茶な作品を平然と出してしまえるところが、竜騎士07さんの同人作家としての強み*3なのだと思います、みたいな。

*1:私たちの本心がそれを望もうと望まざると。

*2:いえまあTIPSはアレでしたけどとりあえず便宜的に!

*3:いえ、発表直後は反論に落ち込みまくってらっしゃいましたけどね!