『ひぐらしのなく頃に解 皆殺し編』を読んで怒らないために

さて、一体どこから手をつけたものでしょうか。感情的な絶賛はもうこれまでに散々やってるので、そういうのはひとまずやめ。まずはまずかったところを……というか、プレイ前にこれさえ意識しておけば違和感なく楽しめるでしょうという事項をいくつか。
絵が下手だとか美少女ゲームがフォーマットの文章が小説文化と相容れないだとかの表層的な些事をどうこう言うのはもういい加減に捨て置くとして、結局ひぐらしがもっともまずかった点は、竜騎士07さんにとっての"推理作品"のイメージが一般のそれとあまりにも乖離しすぎていたことなのでしょう。
雛身沢という舞台の抽象的な意味での"システム"を読み取ることこそが竜騎士07さんにとっての"推理"の眼目で、そういう理解の仕方をしたとき『ひぐらしのなく頃に』は非常に優れた本質的なミステリー作品であると言えます。ところが、一般に言うところの"推理"とは、犯人は誰だとかトリックはどうしたとかの具体的な事象を指すものです。この言葉のイメージの差に対して、竜騎士07さんはまったく配慮をしていませんでした。また、出題編でたとえどれだけ「人か祟りか偶然か」というキャッチコピーを主張してみたところで、それは結局よくある煽り文句としかみなされず、実際問題として扱われるような重さには届いていませんでした。こういった宣伝レベルでの認識のズレが、結局は解決編の内容自体への納得を遮る最大の原因になっているのだと思います。
結論を言ってしまうと、一般的な"推理作品"の視点から見たとき、『皆殺し編』で明かされた謎の実情はとても"無難"なものでした。この『ひぐらしのなく頃に』という説明不可能な物語にあって、"無難な真相"というのがどういうものを指すかは大体予想できるでしょう。最終的にはこういう結論しかありえないだろうけれど、それは反則だからできればやって欲しくない……という、そういう意味での"無難"です。竜騎士07さんにとっては、こういった犯人やトリックといった要素はほとんど"推理"の対象ですらなく、形式的な推理作品から外れたもっと概念的・抽象的な思考を要求していたのですが、普通に本編をプレイしているだけでそこまでの意思を読み取るのは不可能なことだったのです。
とにかくこの、プレイヤーとの認識の溝というただ一点が、ひぐらしという作品の致命的で本質的な瑕だったと言えます。もしこの点さえしっかりとプレイヤーに届くようにアピールすることが出来ていれば、『ひぐらしのなく頃に』という作品にあと足りないのは経験による洗練だけ、という所にまで達していたでしょう。作品内容以外での要素が最大の欠点になってしまうというのは、とても残念なことだと思います。