『とく。』

とく。 (徳間デュアル文庫)
ひどかったです。このシリーズは巻を増すごとにひどさが増しますね! あまりにもひどいです。「超」と書いて「チョー」と読むのはまあ今に始まったことではないとして、「脳力」とか言い出すのはいろいろ致命的では。刑殺の是非についての記述を見ていて、この人はきっと倫理的な葛藤なんかとは無縁な人なんだろうなと思いました。はい、例によってここまで全部誉め言葉ですよ! とはいえ、あとがきで

実際、こうした説明が見苦しい言いわけなのは、まず間違いないです。期待した読まれ方をしてもらえない責任は、ほとんど全ての場合、作者のチカラ不足にあるのですから。
昔はよく読者のせいにして被害者意識を感じましたが、最近は、心境が変わりました。

なんてことが書いてあって、この人もいちおう成長してるのだなと思ったり。獣人毒者説は改めるのでしょうか。あとイラストの牛木義隆さんの絵がどんどん良い感じになっていて、裏表紙の特馬さんがものすごく格好よかったです。
もしかして流水さんの作品への関心はほぼ全て「伏線の回収」に向いていて、「物語の収束」をほとんど気にかけていないのではないかと思いました。本作ではいちおう「VS刑殺」という大きな本筋はあるんですけど、それ以外の細かな物語、たとえばキャラクターの葛藤や人間関係はことごとく未解決、または未描写に終わります。普通の作品の感覚で読んでいるとこういう点がものすごく気持ち悪いんですけど、謎の種明かしやアナグラム、世界観の説明といった「伏線の回収」は一応それなりに綺麗にまとめられてもいるのです。御大的には、そういったことさえカバーできていればオーケーなのでしょう。
西尾維新さんの『ネコソギラジカル』は、世界観に関わる伏線は未回収でも物語自体はきちんと収束している作品で、「物語は終わっても世界は終わらない」という作中の主張を体現しています。流水さんが言葉やキャラクターを「記号として徹底的に無機的に扱う」のに対して、西尾さんは「その記号自体にあえて身体性を与えようと描写する」人だと思うんですけど、そういった視点で見るとお二人はやっぱり正反対の作家なのだなと感じます。

「月華さん、新悟、母さん――。こんな結末で、良かったかな?」

よくねーです。