ミステリーと推理とひぐらし

海燕さんのちょっと前の記事のコメント欄ひぐらしについてこういう話が。

kaien 『伝え聞く噂から総合的に判断すると、たぶんミステリとしてはダメダメなのでしょう。「正解率1%」とかは、若気のいたりだったのだと思います。』

これまでに読んだミステリーの八割がメフィスト賞な私がミステリーについて語るのはおこがましいかもしれませんけど、ひぐらしのミステリー的性質は伊坂幸太郎さんや恩田陸さんのそれに近いものだと思っています。最後のオチの部分がセンセーショナルだったもんですから何かえらい言われようをされてますけど、全体的に見ればそこまで無茶苦茶やってるとも思えません。事件の規模の大小はともかく、米澤穂信さんの作品の最初の方に出てくる小ネタと似たようなものでしょう。大オチの見た目の派手さに釣られて流水大説なんかと並べて語るのはあんまりです。
ひぐらしが決定的に致命的だったのは、これが本格推理作品であるかのような形で売り出されたことです。たとえば伊坂幸太郎さんの『ラッシュライフ』とか恩田陸さんの『六番目の小夜子』が本格推理小説として売り出されていたら、と想像すれば分かりやすいです。そりゃ叩かれもしたでしょう。だから、ひぐらしはミステリーとしてはともかく推理ものとしてはダメダメですし、「正解率1%」とかが若気の至りだったのも間違いありません。ただ、ミステリーの元型的発想として見るべきところがあったろうとは、今でもわりと思っています。入出力のブラックボックスとか、すごく立体的なミステリー構造だと思います。
この辺の話はこことかここで飽きるほどやりましたけど、まあ時間が経ってそれなりに考えを整理することもできましたし、当時は伊坂幸太郎さんや恩田陸さんのようなはっきりした根拠を思いついてもいなかったので今になって挙げときました。はいはいぶり返しぶり返し。