『李陵・山月記』

李陵・山月記 (新潮文庫)
すっごい綺麗な文章でした。凝っているというわけではなく、表現力に優れているという意味でもなく、とにかく単純に日本語の並び自体が美しいのです。言葉のリズムや語のバランスを立てることが、お話の内容自体よりも優先されているのではないかとすら疑ってしまいました。
小説の内容自体については、とても普遍的なお話という印象。書かれた当時としても新しいとは言えない作品群だったと思いますけれど、現代の視点からだと古く見えるというわけでも決してありません。どれも漢文を元としたお話なので、テーマも自ずと時代に左右されないものになったのかもしれません。
ちょっと勿体ないなーと思ったのは、元が漢文なだけあって注釈が非常に多いこと。二百ページある内の、まさに五十ページが注釈の解説です。注釈の度に巻末の解説ページに飛ぶという読み方をしていると、どうしても頻繁に流れが止まってしまうので、せっかくの綺麗な文章を完全に堪能しきれないというところがありました。

山月記

人の心の中の驕り高ぶりについて扱ったお話。もっと言うなら、今で言うところの中二病です。あまりに痛切で死ぬかと思いました。

名人伝

弓に人生を賭ける男がトンデモっぽい修行メニューを次々こなしていくという、なんだかドラゴンボールみたいなお話。ドラゴンボールとの違いは、強さのインフレが起こらなかったせいで主人公が最強になってしまい、悟りを開く方向にお話が流れて行っちゃった点。名人凄い。

「弟子」

孔子さんの弟子、子路さんのお話。子路さんの実直な人格が、とにかく魅力的に描かれています。孔子一行みたいな集団ってライトノベルではあまり見かけたことがありませんけど、結構相性いいんじゃないかなーとか思いました。バトルもいける哲人旅団みたいな。

「李陵」

司馬遷さんが宮刑を受ける切っ掛けとなったという、あの李陵さんを中心に据えたお話。名君ではあるけれど仁君では決してない、武帝さんに振り回される李陵さんと司馬遷さんの一生が物悲しいです。今の日本は幸せな時代にあるんだなあと。