id:kagamiさんの記事へのブックマートコメントについて

はてなブックマークのコメントページにつけていた幾つかの批判的な文章について、お叱りをいただきました。ブックマークコメントの文字数制限(100文字)の関係から批判意見の説明がおざなりになってしまっていたため、言及先のサイト主は何故批判されているのか理解できないというというご指摘でした。また、その文面もかなり無礼だったかと思います。他人が脊髄反射的な意見を言うと非難の目を向けながら、いつの間にか私自身も同じミスをしでかしていたというのは酷い無自覚でした。ごめんなさい。これから気をつけます。


説明不足だった批判的コメントというのは、具体的にはid:kagamiさんのなぜ感情を押し殺さねばならないのかな… −可愛いから守りたい−という記事のブックマークページにつけた私の次のような文章です。

  • 「元記事を曲解誤解*1して作った要約を仮想敵に仕立て上げて批判。「人々が様々な意見を述べることが、他人に押し付けるということなのかな…」言ってない言ってない」

私がこのコメントをつけた記事は、id:kaienさんが書かれた作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語るという記事をid:kagamiさんが批判したものです。id:kagamiさんはid:kaienさんの文章を引用した上で次のように述べています。

………。人々が様々な意見を述べることが、他人に押し付けるということなのかな…。可哀想だから、愛しんでいるから、子猫を守りたいと感じて、その意見を発表する人々の何がいけないというのかな…。人々の意見が力となって社会秩序は組み立てられていく。それが共同体。人々の感傷(=物事に感じる思い)が、物事(=社会)を動かしてゆく。人々の個人レベルの感傷を超えるものが何かあるとでもいうのかな…。私はそんなもの信じない。そんな何かは、大義を唱えて人々の思いを封殺するものでしかありえない。

勿論、礼節を持って、自らの思いを述べることは必要で、そこは気をつけねばならぬと思う。けれど、個々が思いのたけの意見を述べること自体を「そんなもの感傷に過ぎない」と云って封じ込んでしまえば、封じ込んだ側(往々にして権力側)の思い通りにしか物事は動かない。そのような、人々の感じる心を封じ込む社会は、真によくない社会であると私は思っている。

id:kagamiさんの指摘は上に書かれている批判そのままです。id:kaienさんの記事には上記のような問題があるという前提に基づいて、これ以降の文章が展開されています。私がブックマークコメントで「曲解誤解」と書いたのはこの点です。

私はid:kaienさんの引用元の記事を何度も読み返しましたけれど、「人々が様々な意見を述べることは、他人に押し付けるということだ」といった旨の主張はどこにも書かれていません。引用元の記事には「自分が可哀想だと思うのだからそれを尊重しろ、と他人に押し付けることはとても危険だと思う」という記述がありますけれど、これはもちろん意味が違います。「私がこう感じたのだからをお前も同意するきべだ」という考え方が「押し付け」なのです。id:kagamiさんも、「個人レベルの感傷を超えるものは存在しないのだから、自分の感傷を他人に押し付けても構わない」とは考えていないはずです。

id:kagamiさんは「個々が思いのたけの意見を述べること自体を「そんなもの感傷に過ぎない」と云って封じ込んでしまえば、封じ込んだ側(往々にして権力側)の思い通りにしか物事は動かない」と言っておられますけれど、id:kaienさんが「感傷に過ぎない意見を封じ込め」ようとしているとも思えません。id:kaienさんは記事のはじめに「とりあえず今回は感情の声は無視することにしようと思う。そのかわり理性の声に耳を傾け、少し真剣に考えてみることにしよう」と述べられています。これは「この記事では感傷的な意見を抜きにした話をしよう」という記事の方針宣言に過ぎませんし、「感傷的な意見を述べること」自体を否定するものではぜんぜんないはずです。

このように、id:kagamiさんはid:kaienさんの記事を誤解してしまい、その誤解に基づいて「誤解されたid:kaienさんの記事」を批判したのだ、と私は判断しました。誤解された後の記事は、誤解される前の記事よりもid:kagamiさんにとって批判しやすいものになっているはずです。ブックマークの「元記事を誤解して作った要約を仮想敵に仕立て上げて批判」というコメントはそういう意味です。「本当に子猫を殺すことは「悪い」ことなのだろうか?」という疑問を投げかけるid:kaienさんの記事は、id:kagamiさんにとって「感情的に」反発を覚える内容だったのだろうと思います。id:kagamiさんはその反発から、意図せず本文中に書かれていないことまで悪い方向に読み取ってしまったのではないでしょうか。「この記事には自分にとって敵対的な内容が書かれているに違いない」という風に。少なくとも、「人々が様々な意見を述べることが、他人に押し付けるということなのかな…」という反論については、id:kagamiさんの誤読に基づいた言葉だと思います。id:kagamiさんの側の記事だけを読んでいる人がその内容をそのまま受け取ると、id:kaienさんの意地に対して誤った認識をしてしまうという問題もあります。

ここから先は少し離れた話になります。私自身の印象によるところが大きい意見なので、もしかしたらまったくの見当違いなのかもしれませんし、そうでなくても大変失礼な内容です。それでも正直にお話しすると、id:kagamiさんのサイトを拝見してきた中で、今回の記事と似たような感想を持ったことはこれまでにもありました。普段の記事では立派なことを書かれているのに、何かを批判しようとするときに限って(批判するのにより都合のよくなるような)「誤読」と思える記述が見られ、その「誤読」を交えた批判を展開させていくことで相手を論破したような形となることが多いのではないか、という感想です。膨大な過去ログからの印象なのでそのひとつひとつを具体例として挙げることは困難*2ですけれど、そのため論拠としては個人的印象しか示せない私が偉そうに指摘できることではないかもしれませんけれど) 私自身はそのことについてブックマークのコメント欄に書いてしまったくらいの「実感」を持っています。(ひどく直截的で無礼な文面ですが、こちらのコメントはそのような実感から書いたものです)

もちろん、id:kagamiさんが意図的に対象の記事を曲解して自分にとって都合のよい批判をしている、とは思いません。けれど、相手の記事に強い反発を覚えるあまり、知らず知らず自分にとって批判しやすいよう内容に補正をかけて読解してしまっているようなことがあったのではないでしょうか。もちろん、そういった誤読は常に誰にでもありうることです。ですから、私がこういう風な意見をするのはとてもおこがましいことなのかもしれません。どこかの少佐も言っているように、実は誤りを指摘する側が正しい保障はどこにもありません。ただ、id:kagamiさんの場合、そうなることが人よりも少し多いのではないか、というのが私の「実感」です。これで、問題のブックマークコメントに関する私の意見の説明として納得いただければ幸いです。

*1:先ほど調べて知りましたけれど、「曲解」を「誤解」と同じ程度の意味の言葉として理解していました。( http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%9B%B2%E8%A7%A3%E3%80%80%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80%E8%AA%A4%E7%94%A8&lr= ) ここでは「曲解」ではなく「誤解」という言葉を使うべきでした。今回のような場合は大きく意味の変わってしまう言葉で、これについては完全に私の勘違いです。大変失礼しました

*2:というか、そういう例は正直挙げたくありません。