落ち着いたので『シンフォニック=レイン』の感想書きます

工画堂スタジオ シンフォニック=レイン愛蔵版










     ヘ○ヘ
       |∧ 
      /

ああ、ごめんなさい。まだ完全に落ち着けていませんでした。平静、平静。

ええと、とにかく、まず言うべきは「傑作」の一言。

ミステリー的な側面が強く語られる本作ですけれど、単にびっくりするだけの仕掛けなら他にいくらも例があります。この作品で特筆すべきは、ミステリー的部分がそのまま登場人物たちの悲哀を描くことに直結していて、その試みが表現として絶大な効果をあげている点です。

多少なりともミステリーについて自覚のある作家は、なんとか作品のミステリー部分とそれ以外の部分を関連付けようと苦心していることと思います。けれど、その多くは「密室トリックを看破することで心の閉塞感を破る」みたいな表層的な抽象表現にとどまることが多いです。この例の場合、「密室トリックを看破する」というミステリー要素は「孤島から脱出する」というアドベンチャー要素などでも代替が可能で、別に「ミステリーである」必然性はありません。

ところが本作では、ミステリーと表現とがもっと深いレベルで噛み合っています。すごく大雑把に言ってしまえば、登場人物たちの「思い」がそのままミステリーにおける「謎」として機能しているわけです。それは、単なる象徴ではありません。本作の登場人物には「隠された思い」が存在し、プレイヤーはミステリーと同じように実際にその思いを「知る」ことになるのです。

ただし、ここが重要なところなんですけれど、別に本作はミステリーとして描かれた作品ではありません。全ての演出は、何よりもまず「シンフォニック=レインというこの世界」を表現するためにあるのです。ここで用いられた演出がミステリー的手法であると、お話の作り手が理解していたかどうかすら怪しいです。でも、だからこそ本作には「ミステリーであること」の気負いが存在しませんし、ジャンルの慣習に毒された不自然さもありません。

つまり本作のミステリー的な一面は別の角度から見れば「表現」そのもので、ミステリーと表現の融合が云々という以前から既に「同一のもの」なのです。真相が示されたときプレイヤーの胸に湧き上がる感情、それはもはやミステリー的なカタルシスのみではありません。「なぜその思いは隠されなければならなかったのか」そのことに考えを巡らせるからこそ、プレイヤーは衝撃と共に激しく「感情」を揺さぶられるのです。

というようなことをくどくど書いて、別に私はこんなジャンル語りのようなことが言いたかったわけでもないのにということに思い至りました。何かもっと、先に言うことがあるでしょう。なにこのいい加減な記事ふざけてるの? ちょっと、荒ぶる鷹のポーズ!を取りすぎて少しおかしくなってしまったのかもしれません。次はちゃんとまともな感想書きます。