『薔薇の女』

薔薇の女―ベランジュ家殺人事件 (創元推理文庫)

でっかい思想戦争に挑まんとする思弁青年・矢吹駆が、敵の親玉の正体に迫るついでに巷の猟奇殺人事件を解決するお話。

ミッシングリンクにフーダニットホワイダニットと色々あるんですけれど、探偵役の矢吹さんだけが知る情報というのが少なくなくて、「推理」小説としての側面はあまり強くありません。でも最終的に判明する真相はかなり立体的な構造を持っていて、「知ること」によるミステリー的カタルシスは十分。

ていうか、350ページある本編の内、解決編に60ページも費やしているというのが凄いです。どれだけ入り組んだ事件なんですか。まあこれは、探偵役である矢吹さんの語り口によるところが大きいでしょう。

ミステリーの探偵は多かれ少なかれ真相を出し惜しみするものですけれど、この矢吹さんほどそれを徹底している人も少ないです。とにかく、喋らない。聞かれてもはぐらかす。ただでさえ寡黙なのに、肝心な事件についてすら意見を述べないのでますます台詞は少なくなります。

まあでも、単に物語展開の都合で情報を出し惜しみする探偵とは違って、矢吹さんの場合は一応の理由と必然性があります。つまり、彼には「事件を解決する」以外の明確な目的があって、そっちの方を事件解決よりも優先させてしまうのです。

そういうわけで、事件の推理過程は途中はでなかなか説明されません。必然、ラストの解決編で溜めてきた分を一気に説明してしまう必要があります。また彼自身の推理方法も非常に思弁的なものなので、一度解説しはじめると話がやたら長くなってしまうのです。そしてその結果がこの長大な解決編。

とっても難儀な探偵さんなんですけれど、いちばん大変なのはこの変人に振り回されてしまうワトソン役のナディアさんでしょう。シリーズ中、矢吹さんがナディアさんに向ける視線ってほとんど変化してないんですよね。今回なんか特に、もうまったく双方向の交流なし。ナディアさんが一人で矢吹さんを見て悶々としてるだけ。本当にお気の毒です。