『球形の季節』

球形の季節 (新潮文庫)

デビュー作『六番目の小夜子』に続いて、これまた何とも奇妙な作品。

お話の舞台は谷津という東北の田舎町。ある日突然町中に広まった都市伝説まがいの噂話と、田舎町で日常を送る少年少女の日々を描いた群像劇です。不気味な噂や土地の秘密などの怪談的オカルト要素を絡めつつも、最終的にその焦点は子供たちの心に当てられます。

田舎というのはとかく美化されがちですけれど、この作品はそういうっいった視点を持ちません。谷津という田舎町は、登場人物たちによって徹底的にけなされます。曰く、閉鎖的、曰く、垢抜けない、曰く、女が醜い、曰く、何も変化がない、などなど。「のどかである」とか「人情味がある」といった文句は田舎を礼賛する常套句ですけれど、本作からはそんな美点が微塵も感じられません。

土地にまつわる不思議な因習や言い知れぬ違和感とも入り混じって、この谷津という町には強い閉塞感が立ち込めています。そして子供達は皆、谷津のこの澱んだ空気に多かれ少なかれ息苦しさを感じているのです。この息苦しさこそがこの作品の原動力で、一見別の方を向いているように思えるモチーフも、行き着く先はこの地点です。

恩田陸さんは、読者に固有の読み方を要求する作家の一人のように思えます。恩田陸さんの作品を他の多くの作品と同じような感覚で読むと、十全に楽しむことができないからです。

たとえば、このお話のはじまりはいかにも「ミステリー」的で、「噂」や「谷津」にまつわる謎は魅力に満ちています。けれど、その結末で「ミステリー」的なカタルシスが与えられることはありません。それはこの作品を「物語」として見たときも同様。『球形の季節』では、物語に最低限必要な構成要素である起承転結の「結」の部分が描かれないのです。

この作品も、おそらく「物語」ではなく「情景」を描きたかった作品なのでしょう。ただ、前半の思わせぶりなミステリー展開と「結」の抜けたラストの唐突感、などのおかげで、それらを期待していた人にとって「投げっ放し」という印象を抱かせてしまう面も否めません。まだ初期作品なのでこの後どういった作風になっていくのかは分かりませんけど、この辺が恩田陸さんの作品を読む上での難しさなのかなと思います。