萌理バトン反省

先日の萌理学園バトンについて色々反省……。バトン形式のリレー作品なのに、明らかに他の人への配慮が足りてなくて後から猛烈に反省猿です。ゆらぎやってるときの行き当たりばったり感覚が抜けてなかったと思います。

私がゆらぎとかでお話を書くときは「物語が終わっても世界は終わらない」というのを意識していて、これは世界観の設定に関するような伏線は必ずしも回収しなくていいのではみたいな感覚です。

たとえば上遠野浩平さんの諸作品とか西尾維新さんの戯言シリーズによくある、存在には言及されるけど作中には登場しないキャラクターや組織、遠い世界の事件などがそれにあたります。ああいうのは物語には寄与しないんですけれど、作品世界のイメージを広げるという物語とは別の観点からの効果があります。

今回の萌理バトンのアレも、基本的に与太なのでその場限りでサクッと流して、たまたま便利そうなネタがあったときだけ使ってもらえたらいいな的意識でした。そういうのはあまり一般的な感覚じゃないということを、書いてるときは失念してたというか。後から考えると何じゃこらです。

大して考えもない伏線を無駄にたくさん突っ込みまくってしまい、後続の人に「伏線回収しなきゃ」的プレッシャーを与えてしまったのではと心配です。ぎゃー。でもキュラギ時空ですから! 悪いのはアルセスです

あと私は言った者勝ち的な世界観全体に関わるシステムを安易に出しすぎだと思いました。「キュラギ時空」だけでもアレだったのに、死んでも条件付きで生き返るシステムなんて危なすぎます。あまりにもあんまりなのでこういうのは自粛しようと思いました。あのアルセス野郎