『匣の中』

匣の中 (講談社文庫)

 ミステリー四大奇書のひとつ、『匣の中の失楽』に対するオマージュ作品。

 この作品に対する評価は、読む人が「作中で明かされなかった要素」に気が付いたかどうかで大きく変わってしまうと思います。「作中」に書かれていることをそのまま受け入れた場合、本書はバランスを欠いた奇怪な書に過ぎません。ただし、残されたいくつかの暗号や不整合などの「作外」に目を向けることで、作品はその形を大きく変えます。*1

 「作中」のヒントを元にその先を考えていくと、蛇足に思えていた多数の薀蓄や推理合戦に実は必然性があったことが分かります。アンバランスに思えていた宙ぶらりんの解も在るべきところに収まって、最終的に現れるのは意外とスマートな形に纏まった無駄の少ない作品なのです。

 乾さんが「作外」にかけた労力は結構なもので、もしかすると「作中」のそれよりも大きかったかもしれません。こんな風に読者に自力で読み取らせる形にするよりも、素直に作中でその真相をあっさり書いてしまった方が本書に対する一般的な評価は大きなものになっていたでしょう。にも関わらず、あえてこういった形で発表した乾さんの拘りには、もはや趣向を超えた執念のようなものを感じました。

 最初は本当に『匣の中の失楽』と同じようにお話が展開していくんですけれど、途中から徐々に原典から外れていきます。といって原典と別物になってしまうわけでは決してなく、いわば"別の初期条件で書き直されたもうひとつの『匣の中の失楽』"といった趣きの作品になっています。最終的には、時系列的な意味での「原典の先」までを描いていたように思えました。

 雰囲気は、よくここまで忠実にとびっくりするほど原典通り。衒学によって眩惑を誘うあの「密度」まではあの原典に届いていないと指摘されているものの、方向性はもうぴたりと一致していたと思います。ただし原典が「薀蓄のための薀蓄」という感じででひたすらに脱線していったのに対し、本作の薀蓄には一種の一貫性がありました。

 乾さん自身理学分出身ということで、理系の薀蓄ネタが単なる知識や装飾以上のレベルで有機的に活かされていたと思います。ある意味まさに物理(学)トリック。原典で引用されていた理系薀蓄にはかなり理解の怪しいところが見受けられたので、この点はひとつ原典に勝る点でしょう。

 注釈からリンクしたサイトでは、この作品の「真相」として乾さんが「物理学のとある内容」を理解していることを前提とした仮説が唱えられていました。そこに傍証がないのが残念だったんですけれど、乾さんならそのくらいちゃんと計算の内なのかもとも思えました。

*1:この辺のことについて解説してるサイトがこちらに→http://web.archive.org/web/20050904194655/http://darjeeling.dip.jp/blog/okko/categorylist_html?cat_id=2