「書なる書」

チルマフ


 先住種の遺跡エルネクローザンドよりその書物が発掘されたのは百五十年前のことだった。共通語に翻訳され、まさに『書なる書』と題して出版されたその書が人々の感涙と共に四陸五海を駆け巡ったのはその三年後のことである。

 自己相似にして再帰的な構造を持った本書は幾重にも渡る深き精読を可能とした。とある解釈において傲慢なる神々の贄に捧げられるかの如き不条理な死をもって倒れたある少女は、他の解釈では遍く神々を畏怖させ跪かせる全天の支配者であった。

 果たしてその作者の最初にして最後の意図、あらゆる装飾と偽装に隠蔽された先の零地点がいかなるものであるかを巡る論争は評界を席巻した。当時対立著しかったヨンダライト派とケールリング派によって評者は図らずも二分され、「最終解釈」を巡る闘争は遂に暗殺事件にまで発展した。

 八十年に及ぶ議論に停滞を与えたのは、暗号理論の学徒より提示されたひとつの事実であった。『書なる書』は本文自体を一種の暗号文と暗号鍵と考えることで更なる平文を生成することが可能であり、この過程は理論上無限に繰り返すことができたのだ。

 これによって『書なる書』より生成された二次三次の『続書なる書』『超書なる書』『書なる書ダッシュ』『第三次書なる書セカンドエキスパンション 〜氷結の絶対零度天使たちよ永遠に〜(相手は死ぬ)』などが際限なく発刊され、出版業界は俄かに賑わったが元々の作家たちは大いに冷や飯を食わされることとあいなった。

 作家たちが次々と他の職を求めていく中、評界もまた無限の解釈が可能な『書なる書』からの「最終解釈」同定は不可能ではないかとの危惧に見舞われた。そろそろ本業の評者たちが一人二人と最終解釈問題から去り始めた頃、しかしその解答はあまりにも呆気ない形で忽然と現れた。まさに『書なる書』をこの世に生み出した作者の手記が、再びかの遺跡より発掘されたのだ。手記には『書なる書』の誕生の過程が記されていた。無作為に生成された文字列から製本された無数の書物。『書なる書』は、そこからたまたま見出された内の一冊だった。