「厄醒し編」其の壱「鬼ごっこ」はひぐらしのイメージを原作準拠版に再インストールしてくれる

 な、なんか興奮してきましたよ。凄い凄い。ぜんぜん期待していなかった反動で大げさな反応になっちゃってるかもしれませんけど、昨年の夏に原作が完結した時点で「一度終わった」と思っていたひぐらしで、再びこんなに興奮することになるとは思ってもいませんでした。

「出題」編の時点では、このアニメ化は「壊れた表情」「危ない奇声」などのインパクトが前面に押し出されていて、良くも悪くも原作と異なるアプローチがなされていました。ニコニコ動画での愛されっぷりを見るにそれはそれでひとつの表現だったと今になっては思えるんですけれど、「原作」という狭い檻から逃れきれない原作ファンとしては苦々しいものを感じていたのも事実です。

 だからこそ、この「解」編のアニメ化の原作に対する理解度の深さには驚いています。とにかく、(少なくとも「出題」編の頃と比べて)その表現のいちいちから原作への理解がにじみ出ていて、それが原作ファンとしてのツボを見事に突いてくるのです。

 たとえば今回で言えば、詩音さんの沙都子ちゃんや魅音さんとの関係改善。また、原作「鬼隠し編」で登場した「ゾンビ鬼」を通じての賑やかな部活戦。原作のエピソードを流用する中でも、圭一さんが沙都子ちゃんを騙して呼び出す際の台詞が「家族が呼んでいる」*1という無遠慮なものから「先生が呼んでいる」に変更されていたりして、細かな配慮が見られます。

 そして当然、「仲間を信じる」というひぐらしのテーマもこの上なくはっきりした形で語られます。これまで宿業のように幾度となく惨劇の引き金となってきた「オヤシロ様の祟り」による疑心暗鬼をここまで明確にバッサリと切り捨てる爽快さは、原作でもなかなか味わえないものだったのではないでしょうか。原作の方向性を守りながらも、表現でその上を行く出来になりつつあると思います。

 原作ファンにとって……という言い方をしましたけど、それでいて原作未プレイの視聴者を置いてけぼりにしていないのも評価できます。たとえば部活の超人的な乱闘っぷり*2にしろ、監督の変態っぷりにしろ、「出題」編アニメ化の時点では尺が足りずに表現できなかった部分です。そういったひぐらし原作のノリが、ここで改めてしっかり表現され、視聴者に伝えられているのです。

 つまりアニメ版のみの視聴者にとっても、今回のお話はアニメ版「出題」編のひぐらしのイメージを一度リセットして原作ひぐらしのイメージを再インストールできる効果があるのです。この分なら原作未プレイの視聴者も、今後原作準拠の展開が続いたとしても置いてけぼりを食わずに済むかもしれません。

 と誉めるように書きましたけど、個人制作の作品と違いいつ質が崩れてもおかしくないアニメという媒体の性質は理解しているつもりです。それにいくらアニメの方で頑張ったとしても、原作の結末は勢いとノリに任せた一気読み推奨の強引なもので、週に二十数分ずつしか放送できないアニメ媒体には辛いところがあるのです。だからきっと第三話くらいから作画崩壊で製作ブログが炎上して監督が降ろされて、方向転換による改悪乱発で新監督の原作嫌い発言でまた炎上しておしまいなのです! また全滅エンド! どうせ今回もだめなのですよ! 悪いのはアルセスです

*1:原作のこの時点で、圭一さんは沙都子ちゃんが家族を失っているという事情を知りません。作者的にもまだ設定を深く作り込んでいなかった段階だったためか、「家族が呼んでる」という、後から見ると後味の悪い表現になってしまっていたのです。こういうすれ違いは「鬼隠し編」の時点ではアリなのですが、この「厄醒し編」でやるべきことではないでしょう。

*2:部活の過剰さを印象付けることは、完結編後半の展開に違和感を持たせないためにも絶対必要な伏線です。