『うみねこのなく頃に』のミステリー・リベンジっぷり

 紹介ページに掲げられた謳い文句、「推理は可能か、不可能か」という文面を見たときは、正直「無茶しやがって……」と思いました。明らかに「ひぐらし」での失敗を意識してのこの惹句ですけど、ひぐらしで「推理小説」的フォーマットに対する詰めの甘さを露呈した竜騎士さんの言葉としてはあまりにも挑発的かつ大言壮語に思えたからです。

 本作品は、ジャンル的には連続殺人ミステリーになるかもしれません。しかし、だからといって推理が可能であることを保証するものではありません。

 この宣言が、ミステリーからの単純な撤退を意味する言葉であるはずはありません。口先では「推理による真相の看破は不可能だ」と脅しつつも、実際は「推理してみろ、推理してみろ」としつこく煽っているからです。「推理小説」をことさら意識し、その愛好者の気を引こうとする挑戦的な言い回しをしている以上、そこには今度こそ「推理小説」愛好者でも満足できる作品を作ろうという矜持が窺えます。

 といって、彼が今更まっとうな「推理小説」のお約束にただ従うつもりがないことも、どうやら確かなようではあります。少なくともシリーズの構造上、「多層世界」などの超常的仕掛けが物語のいずれかのレベルで関与してくることは疑いありません。その超常要素が、お話にどこまで食い込んでくるかが問題です。

 一方で「推理小説」を逸脱した部分を持ちつつも「推理小説のお約束(コード?)」を最大限に利用し、それらを両立させて作品の面白さに繋げていくこと、それが達成できればこの作品の試みのひとつはひとまず成功したことになると思います。もちろん、「最初に推理小説のフォーマットで人々をの目を惹いて、客を集めきったところでそのフォーマットを放棄する」なんてチャチな真似ではありません。(そんなことしたらまた袋叩きです。)

 『ひぐらしのなく頃に』の当時から、似たようなスタイルの片鱗はあったと思います。ただし、「ひぐらし」のその手つきはあまりにも粗く杜撰で計算高くもなく、両者がぶつかり合うことによる無用な欠陥は数知れませんでした。その状態は両立と言うにはほど遠く、結果としてプレイヤーからも多くの反感を買ったのです。

 だからこのことの反省を込めて、『うみねこのなく頃に』は非常に注意深く作り上げられているように思えました。推理小説的な手法による「真相の看破」は不可能だという言葉を額面どおりに受け止める必要はないと思いますけれど、あるレベルで「ファンタジー」を含むことに対する予めのエクスキューズという意味もあるのかもしれません。

 これでは一見「守り」に回った姿勢からでた言葉のように思えますけど、本編をプレイしてみると実はそれ以上に「攻め」を意識した言葉でもあることが分かります。プレイヤーは本編において、「推理は可能か、不可能か」という二者択一を何度も何度も執拗に目の前に突きつけられることになるからです。この二者択一は常に作品のテーマとして前面に押し出され、ラストまで一貫して最重要問題として扱われます。

 「ひぐらし」のころの竜騎士さんは、「ミステリー」についてあまり深く考えたことのない素人でした。でも今回の彼は、「ミステリー」と戦うための理論武装とも言うべき素養を色々と身に着けてきたように見受けられます。このことは、「うみねこ」の様々な部分から感じることができました。

 本編中に散りばめられた「推理小説のお約束」的ガジェットは、本作が「講談社BOX」どころか「講談社文庫」の方に入っていてもほとんど違和感のない*1本格的な雰囲気を醸し出すことに成功しています。そして何より、作中で引き起こされる事件のひとつひとつが「推理小説」の王道を行くものとして堂に入っているのです。

 ノックスやヴァン・ダインにNOを突きつけるOPムービーの英文も、彼らの戒律を吟味した上でのものでしょうし、今さら不用意に幻覚やら未知の薬物やら中国人やらでお茶を濁すこともないだろうと思います。もしあえてそういったトリックを扱うなら、伏線などに最新の注意を払う必要があることが理解されているはずです。

 数年前の"活字を読もうとすると頭が痛くなる"という発言が謙遜でないのなら、竜騎士さんは「うみねこ」を書くに当たって今初めてかなり本気で「ミステリー」というジャンルについて勉強したことになります。「うみねこ」の凄味は、金田一耕助の映画を二、三本見齧った程度で表現できるものではないように思えます。まさに「詰めるべきところを詰めてきた」という感じなのです。

 もちろん、ここまででやっていることはただの足場固めに過ぎません。「推理小説風」に示された謎が、推理小説的な手法によって解けるとも限りませんし。でも、ここまでしっかり考えているのなら最後の締めまでしっかり意識してくれているに違いない、そう期待できるだけのものは感じ取ることができました。

 「推理小説からの逸脱」と「推理小説のお約束」の両者がどう扱われるかは、この作品の今後を大きく左右していく要素だと思います。トリックの真相にファンタジーをそのまま持ってくるのは問題外ですけれど、「多層世界」等の構造を上手く組み込むことができれば凄く面白くなるだろうなとも思います。

 もちろんこれは酷く難しい試みで、どこかで下手を打って少しでも両者のバランスが損なわれれば、またぞろ不満は噴出するでしょう。でもそこを何とか逃げ切って、綺麗な均衡を維持できるギリギリの着地点に飛び込んでくれたら……と期待せずにいられません。また性懲りもなく馬鹿な期待してるなーとも思いつつ……。ど、どうせまた(はny

*1:少なくとも霧舎巧さんの「あかずの扉研究会」シリーズ程度には。