『新世紀エヴァンゲリオン(11)』

新世紀エヴァンゲリオン (11) (角川コミックス・エース (KCA12-11))

 渚カヲルさんのエピソードから、劇場版ネルフ制圧戦の冒頭まで。「あの漫画版」が遂にここまで進んでしまったのかと、不思議な感慨を覚えずにはいられません。ヱヴァもなんか大繁盛ですし世の中どうなってるんですか。

 大筋をアニメ版と同じくしつつも、細部の微妙な表現によってかなり見え方の異なる世界を描いてきたこの作品ですけれど、ここに来てその独自性はますます強まってきました。特にシンジくんとカヲルさんの会話はほとんど完全に漫画のオリジナルで、シンジくんの今後の行動を大きく左右する重要な要素になっていると思います。

 アニメ版のカヲルさんはシンジくんにとって「自分を無条件に受け容れてくれる都合のいい存在」でした。だから、シンジくんはカヲルさんに全面的に依存します。最終的に彼をその手に掛けたのも、彼に言われたままに行動した結果に他なりません。そこにシンジくん自身の選択はなく、あったとしても「彼の言う通りにするか、しないか」というものでしかありませんでした。

 対してこの漫画版で、カヲルさんは一貫して「理解できない他人」として描かれます。シンジくんとの仲はずっと険悪ですし、しまいにはシンジくんの方から彼を避けるようになります。シンジくんは最終的に彼に対する好意を認めますが、それは「自分を無条件に受け容れてくれる都合のいい存在」に対するものではなく、「互いに傷つけ合ったり拒絶し合ったりする他人」に対する好意です。

 アニメ劇場版のシンジくんは、「自分には人を殺してまでエヴァに乗る資格はない」と呟きます。これは、自ら行動することで人を傷つけ自らも傷つくことに対する恐怖から出た言葉でしょう。でも、漫画版のシンジくんがこれと同じ理由で戦いから逃げ出すとは思えません。

 漫画版のシンジくんが塞ぎこんでいる理由ははっきりしていて、これは「守りたいものがない」という悩みです。今後もしばらく*1、シンジくんの行動はアニメ版のそれをなぞっていくことでしょう。でも、その行動に至る動機は現在の時点でもかなり異なるものになっています。この差はやがて、アニメ版との完全な分岐に繋がっていくだろうと思います。

 アニメの頃と比べて、設定面での情報開示が増えているのも地味に嬉しいところです。設定面の基礎的な骨格は、物語の骨格ともその一部を共有します。「結局なんだか分からないまま雰囲気だけで終わってしまった」アニメ版の隙間を埋め、お話をきっちりと「終わらせ直し」てくれることを期待します。

*1:たぶん劇場版25話に相当する部分までは、概ねアニメ版の展開をなぞるっていくと思います。26話になるとシンジくんの心象風景がそのまま「現象」となって現れてくるので、本格的な分岐が始まるとしたらそこからかなと。ハズレても知りません。