『GUNSLINGER GIRL(3)』

GUNSLINGER GIRL 3 (電撃コミックス)
 やっぱりこのシリーズ、「未来や希望を持った女の子が無残に殺されていく」姿を見ることで読者の嗜虐心をくすぐるタイプの作品とは少し違うなと思いました。もし本作がそういう作風なら、「ピノッキオ」のエピソードのあの子は間違いなく殺されちゃっていたでしょう。

 もしこれが遠藤浩輝さんだったら、既に義体の子だけでも軽く3、4人死んでますよ。民間人の女の子が作戦に巻き込まれて処分されることもあるでしょうし、公社の女性部員だって銃撃戦で毎度のように脳漿をアレされていくでしょう。死屍累々。

 でも相田さんは、本作をそういう方向に持っていこうとはしません。もうストイックなくらい、また死なないのかとこちらが驚くくらい過激さが抑えられています。テロリズムとか少女兵とか、こういう題材を扱っていながらぜんぜん嗜虐的な方向に走らないのって、これはこれで逆に凄いことなのかもーと思いました。

「闘争に疲れた大人たち」の描写が面白いです。思想のため、復讐のため、何のためと言って社会闘争の世界に身を投げていく彼らですけれど、いつしかその情熱が薄れてしまうこともあります。そのときにふと浮かぶ、「自分はいったい何のためにこんなことをしているんだろう」という問い。

 これって、当たり前といえば当たり前すぎる問いなんですよね。思想も復讐も、結局はその人の「こだわり」にすぎません。根本的には「こだわり」でしかないという意味で、その辺のオタク趣味だとかクリスマス抵抗運動だとかと同根と言える面もあります。

 個人で昇華できる趣味的な活動ならともかく、自分の命を危険に晒したり無関係の人間を殺したりしてまで、闘争を貫く意味が果たしてあるのか。という思考に至って苦悩する彼らが、どこぞのナントカ界隈の人々の未来の後姿に見えてなんとも物悲しい思いに囚われたのでした。ひー。