『GUNSLINGER GIRL(4)』
「マリアの人間造詣に問題がある! ナポリファンがユーベのユニを部屋にかざったりしてるわけがない!」ってサッカーファンの人が言ってました。よくわかりません。
この作品を読んでいると、遠藤浩輝さんの『EDEN』を思い出してしまいます。別に本作と『EDEN』が好対照というわけではなくて、私の頭の中に対比できるような作品が『EDEN』くらいしかないということなんだと思いますけど。
『EDEN』では、世の中を変革しようとする政治家やテロリスト、活動家やマフィアたちの争いが描かれています。理想と目的のためなら、彼らは他のどんな犠牲も厭いません。作中の「大切な人には限りなくやさしく、そうでない人には限りなく残酷に」とか「私には優しく出来る人の数が限られている」などといったフレーズに、その精神性がよく表れています。
このあたりの姿勢に、『EDEN』と本作では逆のものを感じます。本作で焦点が当てられる人々の多くは、「他人を犠牲にしてまで」貫いていかねばならない自分たちの闘争に厭わしさを感じています。そしてその葛藤こそが、本作が描こうとしているもののある側面であるようにも思えました。
最終話。GISにこてんぱんにやられた後で、独りなんとも言えない笑みを浮かべるトリエラさんが印象的でした。なんだか達観しているようで、でも決して斜に構えているのではありません。「自分もまだまだだな」という感じで負けを素直に認める彼女の態度が、背伸びのないとても自然なものであるように思えました。