『東方緋想天』といつか必ず来る大地震

Erlkonig2008-06-25


 今回のストーリーパートは、いつも以上に興味深かったです。最終的に十何人というプレイヤーキャラクターが現れるわけですけれど、今回彼女らのストーリーは時系列上にばらけていて、しかもそれぞれが関係し合っています。つまり、一人ひとりのストーリーをクリアしていくと、断片的な情報が繋がって全体像が立ち現われるという図。この構造のおかげで、いつになく楽しくお話を眺めることができました。

 で、よく読んでみると、これってかなり怖いテーマを扱ってるんですよね。要は地震についてなんですけれど、「大地震がはいつか来るから今のうちに備えろよ」「無理に地震を止めればいつかさらに大きな地震が来るぞ」みたいな警告が、全編通して語られ続けるのです。宮城の地震のほんの三週間前に公開されたということもあり、なんかもう本当に説話か訓話みたいな感じになっていました。

 作中では「地震の元凶」の悪企みがつらつらと語られます。最後、悪役としてのこの存在にはどんな決着が齎されるんだろうー……と興味深く見ていたんですけれど、特に何にもなかったですね。この辺りの宙ぶらりん感は、さっきまで宿敵だった相手とすぐに酒宴を催してしまう東方らしい感覚だなあと思いました。


 東方作品は世界観自体が個性的すぎるので、キャラクター同士の個性がいまいち目立たないというところがあります。なにせ、友人であろうと主従であろうとことあるごとに弾幕合戦はじめるわ、因縁断ち難い仇敵と仲良くじゃれ合ってるわ、こういう感性が普通の人たちに個性を見出すのって至難の業です。それは、動物の顔の見分けがつきにくいようなものです。

 でも本作はキャラクター同士の掛け合いが多いこともあり、その辺の関係性がちょっとずつ見えてきました。萃香さんと紫さんの存在感が凄いとか、パチュリーさんと咲夜さんは意外に仲悪そうだなーとか。紅魔郷の頃と比べるとレミリアさんは随分かわいくなったものだなー、とか。


 ゲーム部分について。やっぱりグレイズって、このシステムをいろいろ弄るだけでいくつものゲームを作れるような、画期的なアイデアだったんだなと思います。打撃ボタンを使う必殺技がなくなったのとか、スコアが計算されなくなったのとか、よくわかんない部分もありますけれど、やっぱり遊んでいて素直に面白いゲームです。

 でもこのゲーム、「硬派」という概念が一般の意味と奇麗にひっくり返ってそうな気がします。普通のゲームなら、「持ちキャラはゲーム上の性能で選ぶべきあって、キャラ萌えで選ぶなんて軟弱者のすることだ」的な風潮があるでしょう。でもこの作品は逆で、「性能など二の次だ、自分の好きなキャラを選べ! 弱キャラを強キャラ並に操って愛を示すことが本当の男の生き方だ!」的迫力がある気がするのです。東方界隈って、私には相変わらず未知の領域です。

 それにしても神社落成式のあの観衆、一体どこから出て来たんでしょう……。幻想卿に「その他大勢」っていたんだ! というのが、なかなか興味深い奇妙な発見に感じられました。