不可算女子高生ムラサキ
村咲弘美は自営業を営む村咲家に生まれた娘さんである。ここで彼女に関して「村咲さんちの長女である」とか「次女である」と言っておけばもう一歩踏み込んで語ることができたのだが、残念ながら彼女に関してはそういった説明をすることができない。これは後述する彼女の性質によるものであり、語り部たる私にはいかんともしがたいのだ。
さて、その彼女の性質に最初に気づいたのは、お産の場で彼女を取り上げた医師だった。誕生した赤子が五体満足か、身体のどこかに異常はないか、そういったことを確認するのもまた医師の責務である。万が一、その身体に人より足りない所や人より多いところがあれば、彼はこの重大な事実を両親に告げねばならない。
ところが、この医師はどうにも確認に手こずった。本来、そんなことがあるはずはない。二つなら二つ。五本なら五本。外見的特徴など、そういった見たままのものを確かめるだけでよい。ところが、医師にはこの簡単なことがどうしてもできなかったのだ。医師だけでなく、その病院に勤めるおよそ誰も、彼女が身体的に健康に生まれてきたかそうでないかを確認することができなかった。そこで、何かおかしいぞという話になった。
つまりどういうことかというと、彼女に関して何かを"数える"ということが我々にはできないのだった。体重も分からなければ、目の穴がいくつかるかもわからない。それどころか彼女がはたして村咲家の長女であるのか次女であるのか、これが当の両親にすら判断がつかなかったのである。
このように奇妙な性質を持って生まれた村咲弘美であったが、それでいて彼女はけっこう社会に順応して育った。ものを数えられず、年も分からず、お金が使えないから買い物がまともにできないといった不便な点も多々あったが、できることとできないことの分別は日々の生活の中で嫌でも身に付いてくる。彼女はむしろ気立てのよいしっかり者に育ち、村咲家を華やがせていたのだった。
また社会の方も、あっさりとこの不可算の娘を受け入れた。一切を数えられないというのはなるほど不便だが、しかしそれ以外のあらゆるところはごく普通の娘なのだ。隣に並んで話などしていても、まったく違和感など生じない。育ってみれば彼女はなかなかの別嬪さんであったし、男どもは別嬪さんを前にして彼女の目玉が二つか三つかなどさしたる問題ではなかったのだ。
ただしそういった生活の中で"数"の必要性……たとえば十二個ある飴玉を両者同じ数で分けようなどという話になったときのみ、少々支障が生じるのだ。その場には彼女と相手しかいないはずなのに、公平に分けようとするとどうしても余りが出るか不足が出る。そういうことが、彼女の周囲では往々にあった。だから彼女の所属するメンバーで何かを分け合う時は、いったん彼女以外のメンバーで分配してから最後に彼女にものを渡す、という手順がとられるのであった。
そんな彼女も高校生になり、萌理学園に進学する。所属は陸上部であった。タイムを記録できないので、大会などには出られない。それでも、彼女は走るのが好きだった。速度がどうとかタイムがどうとかは分からなくても、自分は「誰よりも速く走っている」とか「自分はあの人より先にゴールした」といった比較はできるのだ。
記録が残らずとも、彼女の俊足は明らかである。我が校のエースは県大会に出た誰それか、あるいは不測のダークホース村咲さんかという推測が、部内でまことしやかに囁かれる。リレーなどでは第一走者とアンカーの間に挟めば彼女も間接的にタイムに貢献することができるし、陸上部はまさに彼女に打ってつけの場と言えた。
学業に関して言うなら、さすがに数学は赤点以前にまともに答案を書くことも難しい。もちろん彼女の試験結果自体を点数で表すことができないので、赤点など取りようがないとも言えるのだが。とはいえ、彼女が数学が苦手かというと実はそういうことはない。
数学と数値は不可分だが、さらに本質を辿って行き着くのは論理とか概念といった抽象である。なまじ具体的で表層的な"数値"が見えない分、彼女は一足飛びで数学の"本質"を捉えている様子があった。数を知らない彼女が関数や座標、数列をどのように認識しているか、想像してみるがよいだろう。一年ほど受講した情報の授業で彼女が書いたリスト管理プログラムは、確かに教師を唸らせたのだ。
概ねにおいて、彼女の学生生活は順調である。ところで以前から、彼女の両親や友人が薄々感じつつもあえて突っ込んで問うたり考えたりしていない問題がある。その感覚は実に漠然としていて説明は難しいが、細部のニュアンスが損なわれることを恐れずおおっぴらに表現してしまうと次のような言葉になる。村咲弘美が二人もいるということはまずありえないだろうが……しかしはたして、彼女を"一人"と数えるのは本当に正しいのか?