『少女七竈と七人の可愛そうな大人』-ファンタジーが現実に揺り戻される直前で閉じた作品

少女七竈と七人の可愛そうな大人

 気づいたら二年くらい積んでました……。ハードカバーって本当に慣れなくって、年に一冊くらいしか手が伸びないです。重い重いジレンマなのです。

「美しい」という概念が、まるでファンタジー上の存在であるかのように語られる作品です。「美しい異形のかんばせ」を持った主人公七竈さんを中心として描かれる作品世界は、だから現実から丁寧に剥離されています。

 過度に柔らかな、それなのに妙な生々しさや生臭さすら感じさせる文体は、どこかふわふわとしていて読者から現実感を奪います。登場人物どうしの会話も、現実には多分ありえないだろう奇妙な応答によって成り立っています。作品全体のあらゆる要素が、お話を現実から少しだけ異化させようと働いているかのようです。

 この、会話のどこかふわふわとしたような感じは、桜庭さんのこれ以前の作品でもときどき感じることがありました。ただし本作では、そのふわふわによって全編が覆われています。

 桜庭さんの描く「ファンタジー性」を持った少女像としては、他に『少女には向かない職業』の宮乃下静香さんなどが挙げられるでしょう。ただし宮乃下さんの場合、そのファンタジー性はある段階で底を明かされ、彼女が結局は「現実にいる女の子」の一人でしかないことが暴露されます。『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の海野藻屑さんもまたファンタジー性を帯びた少女です。ただし彼女は、彼女自身が失われることによって最終的には作品世界を現実の側に揺り戻すという働きをしています。

 本作の場合、七竈さんの美しさは最後までファンタジーであり続けます。お話自体も、ラストシーンの段階ではファンタジー性を保っているように思います。ただし作中で語られない未来の展開について考えるなら、七竈さんやそれを取り巻く環境はやはりファンタジー性を失っていくことが示唆されています。

 こう考えると、桜庭さんの作品はいずれもファンタジーから現実に向かって歩んでいくことを指向しているように思えます。ただし本作は、少なくとも作中で語られる内容はファンタジーの段階で閉じています。そこが少し特殊なところではあるのかもしれず、たとえばもし「現実」の段階に至るまでが作中で描かれていたとしたら、本作の印象はかなり異なるものになっただろうと思います。