私の『うみねこのなく頃に』との戦い方、および第1話で××説に思い当たった道筋

ひぐらしのなく頃に』の謎解きとしてのある一面は、多くの人にとって期待はずれという形に終わったと思います。どういうことかと言うと、まあ色々あるんですけど、現実的にはとても説明できそうにない、でもきっと現実的な解答を与えてくれると期待していた、読者が期待するよう仕向けるような形で描かれていた大きな謎が、結局ただの非現実的な話に過ぎなかったというものです。

 ひぐらしは作品構造的にもミステリーとしてすらも賞賛したいところが沢山あるんですが、とりあえず上述のオチに関しては期待はずれだった、肩すかしだったと感じずにはいられませんでした。そしてひぐらしの完結から一年後、『うみねこのなく頃に』の第一話が公開されます。「推理は可能か、不可能か」という宣伝文句は挑発的でしたが、その実質はひぐらしの失敗からの反省とそれに対する罪滅ぼし、名誉挽回のための雪辱戦であるといった印象を受けました。

 その証拠に、ひぐらしを書いていた時点ではミステリーについてとんと素人だった竜騎士さんですが、うみねこの時点では相当に勉強を積まれたように見受けられました。うみねこという作品をプレイしているだけでも、その勉強の跡はそこかしこに感じられます。作品から滲み出すミステリー的な文脈の質が、ひぐらしの頃とは段違いなのです。

 そもそも大ヒットを飛ばした後の二作目ですから、余技でもっと日和見な作品を出すこともできたでしょう。その方が安定してこの世界に居座れたかもしれません。でも竜騎士さんは挑戦の道を選びました。ひぐらしうみねこという作品の土台となる世界のシステムに注目してプレイしている人なら同意してくれると思うんですけれど、『うみねこのなく頃に』という作品って、どう見ても『ひぐらしのなく頃に』より実験的で、より未知の方向に足を踏み入れていると思うんです。

 ひぐらしも挑戦的ではありましたけど、あれは無知ゆえの蛮勇でした。そこがいかに危険かも知らず、丸腰で地雷原に突っ込んだのです。対してうみねこ竜騎士さんは、既に痛い目を見てその怖さを思い知っています。それでも道を引き返すことなく、今度は理論武装をしてより深いところに斬り込もうとしているのがうみねこという作品なのです。

 そんな様子を見て、私は竜騎士さんの作品ともう一度戦ってみようと思いました。ただし、これは相手に逃げられたら自分が一方的に無駄骨を折って敗北するという種の勝負です。ひぐらしの時なんか、さんざん知恵を絞った末に提示された解答が拍子抜けで涙を呑んだ人がいくらいるかしれません。だから勝負に挑む前提として、私はまず竜騎士さんを再び信じる必要がありました。

 この「信じる」はちょっとばかり個人的な形をしていて、一般化できる話ではないかもしれません。たとえば私はうみねこを超常現象が一切出てこない作品、と読んだわけではありません。ひぐらしの何が刺激的だったって作品世界の構造がとにかく凄かったわけで、このあたりに何か仕掛けがあるだろうというのはむしろ考えの前提でした。でも、たとえば「密室殺人、実は部屋の外からサイコキネシスで心臓潰しました」みたいなオチは、今回の竜騎士さんは決してしないだろう、身も蓋もない幻覚でお茶を濁したりもしないだろうと踏んだのです。

 そして第3話までプレイした現在、これは報われる戦い方だったと感じています。今回の竜騎士さんには、ひぐらしの時のような生っちょろさはありません。予想を遥かに越えて越えて、一体どこまでやってくれるのだろうという驚きを持つに至っています。追いついていくのがやっと、という感想が正直なところでもあります。

 面白かったのは、この「作者を信じる」という方針を前提として考えていくことが、結果的にうみねこという作品世界の構造のとある真相に辿り着くことに繋がったことです。これは第3話作中で明示的に語られる真相なんですけれど、考えようによっては第1話の時点でも近いところまで予想することができるものでした。その辺の考えの道筋を以下に書きたいと思います。

 具体的な話をしましょう。ただ、この話をするにはうみねこ第3話までの重大なネタばれに触れざるをえません。できればプレイ済みの方だけ、続きへどうぞ。