エ・ティレンタ

807文字

 彼女は、雨上がりの水たまりを傘の石突きでほじくり返して遊んでいる。水をふんだんに含んだ泥土を、熱心に何度も何度も攪拌する。そうすることが何よりも良質な娯楽なのだとでもいうように、彼女はこの遊びを本当に楽しそうに続けている。

 もう高校生なのに……と私は思う。そうやって呆れながらも、私はずっと彼女を眺めている。わはは−、とか、時枝時枝ー、とか、彼女はときどき意味もなく私に呼びかける。私もまた、はいはい、とぞんざいな返事をする。そうやって彼女と一緒にいることは、しかし私にとってあの子の遊びと同じくらい楽しいことなのだ。

「あんな子を……昔なにかの物語の中に見た覚えがあるんだ」

 いつの間にか現れた柱が、思い出話を聞かせるような感じで何か言い始めていた。私は彼女の遊びを幸せな気持ちで見つめながら、なんとなくその話を聞く。そうしながら思う。彼女は……彼女は、絶対に幸せにならなければならない存在だ。人々が命を賭してでも守り抜かなければならないもの、この世でただひとつ意味のあるもの……彼女とはそういう存在なのだ。私たちの人生に意味があるとすれば、それはきっと"そういう意味において"に違いない。私はごく自然に、心のとても深いところからそう思うことができるし、柱の語る話もまた同じ内容を言っている――しかし、柱の話は私の予想を超えて先に続く。

「けれど……にも関わらず、物語の最後で彼女は死んでしまうんだ。抗いがたい、でも彼女という存在の尊さと比べれば、取るに足らないような宿業によって。彼女は、僕たちが他の何物に代えても守られなければならない存在だったはずなのに……、」

 私の心の中に突然、今まで知らなかった感情が入り込む。

「でも、その命は永遠に失われてしまった……」

 絶対に守らなければならないものが、しかし失われてしまう――そのイメージが実感をともなった瞬間、私は何かとてつもなく冷たいものをこの世界から感じ取る。