タケルンバ卿は「おじいさん」になってほしくない

 この件。

 議論の内容に関して声を上がられるほど有意な意見は持ちませんが、議論のやり方にスルーちからの限界を感じ。

なんかあちこちでえらい勘違いが加速しとるなー。おもしろいから、もうちっと放置するかー。
http://twitter.com/takerunba/status/1129865648

 「勘違い」「おもしろい」「放置」

 主張の妥当性や周囲の納得とは関係なしに、自分の中で完結して一方的に議論を打ちきることのできる、マジックワードです。あらゆる批判を封殺できる、コピペ的に便利な言葉です。


 記事中で問題とされている「おじいさん」は、別に「妻」に対して何か義務を負ってるわけではないです。義務があるわけではないけど、それでも役目を果たすべきだったというのが彼の主張。

何のリスクも負わず、知らん顔。そういう状態だと思うので、俺としては最もひどいと。そう思うわけです。自分が無責任な傍観者であることを嫌うという理由も大きいけどさ。

 この記事に意見を述べた人は、「妻」と同じく彼に考えることを求めたはず。そして無関係の「おじいさん」と違って、彼は問題の当事者です。なのにその意見に向き合わないのは、まさに「無責任な傍観者」の振る舞いにならないでしょうか。

それはあなたの妥当性であって、俺がどうこう言う筋合いではない。この件に関してはあらゆる意見が正しい。それ以上でも以下でもない。俺は俺以外の意見を尊重する。但し俺の意見も同様に正しい。意見の間に順位付けなどないし、人の意見に意見を挟みたくない。
全ての意見を相対化して「だから自分の意見は自分の意見」
http://twitter.com/takerunba/status/1128252845

 全ての意見を相対化する、言った意味がない「おじいさん」のような言葉は、求められていないと思います。最終的な結論がどうなるかに関係なく、"考える"のをやめるべきではありません。それが「おじいさん」を批判する人の姿勢だと思います。そうでないと、あんまりです。

 それとは別に考える時間が必要なら、いくらでも時間をかければいいと思います。ここは無人島でないし、有村さんのように冷静な助言をくれる人までいます。餓死の心配は、とりあえず必要ないはずなのです。