誉めたい作品ほど文句が増える

 じぶんごと。私の感想の書き方的な話。

みたいな記事を昔書いたことがあり。一年以上前の記事ですが、今も基本的なスタンスはあまり変わってません。でも、より詰めて考えられるようになったところはあります。

 フィクションに関する限り*1、「この本はつまらないので読む価値はありません」といった類の感想は書きません。「皆面白いって言ってるのに私はどこが面白いのか分からなかった、悔しい!」っていう敗北宣言*2を載せることはたまにあります。でも「つまんない、読む価値なし」と切って捨てるくらいなら、そんな感想書く時間を惜しんで別のことします。

 でも、そう書くと「誉めてばっかりのサイトはつまらない」みたいなことを言われちゃいます。実際そうでありましょう。なのでもう少しスタンスを詰めて表すと、作品の欠点を挙げて並べ立てること自体に抵抗はありません。実際、感想の中では批判的な意見もわりと頻繁に書いてると思います。「ここをこうしたらもっと面白くなったのにー」っていう類のことを*3。批判意見が作者に届いて改善してくれたらいいーなんて露ほども思ってませんが、読み手の側としても欠点をわきまえてた方が作品をよりよく楽しめることがある、というのは私の中の経験則です。

 ただまあ、誰が読んでも分かるようなあからさまな欠点は、どうせ他の人も言ってるだろうしいちいち書こうとは思いません*4。逆に「この作品のこういうところがいまいち微妙に見えるのは、皆気づいてないけど実はこういう理由があるんだよ!」みたいなポイントを発見できたら、そりゃもう喜び勇んであげつらいます。鬼の首を取ったかのように調子づきます。

 だから、軽く読み流しちゃったような作品だと、軽く誉めるだけで特に文句もつけないことが多いです。なので、ポジティブな感想とネガティブな感想では、後者の方が少ないということはあるでしょう。逆に興味深くじっくり読めた作品だったら、そのぶん文句も多くなるということは往々にしてあります。で、さらに熱を入れた作品だと、欠点まで含めた総体としての作品をどう捉えれば幸せになれるのかというところを、声高に主張しはじめます。

 『ひぐらしのなく頃に』なんかは特に、絶賛しようとすればするほど文句の量も増えていく作品でした。次作である『うみねこのなく頃に』第1話の感想を見てみても、総体としては凄く面白いって主張してるはずなのに、一文一文を取り出すともう貶しまくってるようにしか見えないわけです。昨日書いたこれとかもその辺に根があります。だから、本論では叩くといいつつ言葉の端々では絶賛してるわけです。

「好きなものは人それぞれ」という認識は作品の価値を語るための大前提で、これをすっぽかした言説は往々にして不毛の境地に陥ります。でも「人それぞれ」は「みんな等価値」という変な平等主義とは決してイコールではないとも思っています。そこには明らかな偏りがあるはずですし、それぞれの立場に応じて有意と無意の別があるはずです。自分や他人や作品が持つそういった偏りを、うまいこと見抜いて言葉に直すこと。私の感想の目下の方針は、そういうところにあるのかなーと思っています。

*1:学術書などはまた別。そういうのは「データが出鱈目」とか、人の好みに依らない一律の評価基準で語れるので。いえまあそもそも学術書なんて滅多に取り上げないんですけど−。

*2:数年前に読んだサリンジャーさんがそうでした。

*3:でも、それが「誰の基準で面白くなるのか」のには留意したいところ。

*4:はてなのISBNページにぜんぜん言及がないようなマイナーな作品だと、紹介的なスタンスでその辺細かく言ったりすることはあります。