推理小説でいきなり手品のトリック使うのはアンフェアなのかもしれないなとか -清涼院流水 『彩紋家事件III 彩紋家の一族』

彩紋家事件 (3) 彩紋家の一族 (講談社文庫)

「イエス、アイ・アム」

 やかましいわ。


 完結編。『コズミック』や『カーニバル』と比べると小規模*1な事件ではありましたけれど、完成度としてはかなりよくまとまった作品だったと思います。終盤の畳みかけるようなカタストロフィ感はけっこうなもので、前二冊の大人しさからくる「大丈夫かいな……」という不安は綺麗に消し飛びました。

 彩紋家殺人事件にまつわる本作のこの仕掛けは、思わず声を上げてしまうようなよくできたものでした。たしかに、一発ネタ的な性質を持つ仕掛けではあります。でも、その一発ネタの衝撃を最大限に引き出して、ひとつの作品として成立するだけの強度を持たせるために、この三分冊で十分な準備がされていたと思います。んー、すごいすごい。


 驚いたのは、作中で提示された手品について、最終的には全てタネが明かされたこと。キャラクター設定的としての特殊な才能に依存するネタがひとつあったものの、基本的には全て現実の手品の文脈で合理的な説明がなされていて、ちょっと感心してしまいました。そしてこれらの手品のネタは、事件のトリックともさほど違和感なく接続されています。そのあたりの「地に足の着いた感」が、この作品を*2意外と完成度高く感じられる理由なのかもしれません。

 ただ面白いところで、「手品」についてのこうした前提を濃密に語った本作だからこそ、こういったトリックが許されたのかもとも思います。たとえば「衆人環視の状態で観客の注意を片手に引きつけておいて、その隙にコインをサクラに投げ渡して消失マジックを実現する」みたいな技は、現実の手品の世界ではよく知られたテクニックとして普通に使われているものらしいです*3。でも推理小説でなんのエクスキューズもなく「凶器消失トリック」と称して同じことをやると、「現実の手品でいくらでも使われている現実的テクニック」であるにも関わらず、アンフェアとかトンデモとかと言われてしまう可能性は高いでしょう。
 
 もしかしたら、作中でそいつは手品師だということが事前に説明されていて、上記のような消失マジックが現実的なテクニックであることも十分に説明されていば、読者は納得度できるかもしれません。それにしても、例のようなトリックを成立させるにはそういった配慮がやはり必要であるとは言えるでしょう。「合理的にリスクなく実現可能」であることは、推理小説的な意味での「フェア」とは必ずしもイコールではあないのかもしれません。分類としては、「読者の知らないマニアックな科学知識」と似たところに位置づけられそうな気がします。


 これもJDCシリーズのひとつということで、JDCにまつわる人々の過去の姿が見られたのもそれなりに興味深くありました。太郎ちゃんかわいい。本作を読んでから既刊のJDCシリーズを読むと、作品自体の印象もそれなりに変わってくるでしょうし、そういう点でJDCシリーズってたしかにひとつの「サーガ」を形作ってるんだなあと思います。早く『双子連続消失事件』が読みたいのでした。

*1:それでも何十人も死んでいる。

*2:彼の他の作品と比べてーですが。

*3:流水さんの記述を信じるなら……。