「このルサンチマン充め!」という皮肉で真に傷つくのは、本当に苦しんでいる弱者

 書かれてある主張には全く同意なのですが、にも関わらず覚える違和感。

ルサンチマン充」と呼ぶべき人々は、たぶん相当数存在するのでしょう。ただし、認知と実動が正しく接続されておらず、どんなに頑張りたいという思いがあっても行動や成果に繋がらない、真の「持たざる者」も、また多数存在するはずです。

 そして、「ルサンチマン充」と、「持たざる者」を見分けることは、容易ではありません。真っ二つに切り分けること自体が正しいのか、という議論もあるでしょうし、その境界は恣意的になりえます。

「このルサンチマン充め!」という皮肉りが「ルサンチマン充」な人にのみ向けられるのなら、何も問題は感じません。けれど現実問題として、この言葉は「持たざる者」をもまた等しく攻撃してしまいます。その時この言葉は、"うつ病患者に「がんばれ」と言う"に等しい恥ずべき暴言となるでしょう。

ルサンチマン充」という物言いは、言うべき人に言えば効果的な批判になると思います。けれど、この言葉でいちばんダメージを受けるのは、誰かの助けを必要としているはずの「持たざる者」たちです。そう考えると、私はこのマジックワードになりかねない言葉を無邪気に振りかざす気にはなれないのでした。