理性教団の誕生

(理性ちゃんの話。SFです)

ものを食べなければ……。

 急な仕事を片付けねばならないのだと、一昨日の晩に両親は出かけていった。片道一万円もかかる遠いところの同僚が職務を置いて消えたというので、数日は泊まり込まねばならないのだ。折りの悪いことに、私は春期休暇のただ中であった。いい加減よい年をした高校生の娘をほんの数日留守番させることが、両親にとってさほど心配なことであったとは思えない。結果として今、私はベッドの中で空腹とぬいぐるみを抱えている。

ものを食べなければならない。

 一昨日の晩、急報を受ける前の両親と食事をとってから、四十時間が経過している。冷蔵庫の中の食材はいずれも未調理であり、そのまま食べられるものは父が酒のつまみとしている魚肉ソーセージがせいぜいであった。二本の魚肉ソーセージは私が食べた。この四十時間における私の食事はそれだけである。

この緩やかに締め付ける苦痛は空腹だ。空腹は食事によって解決する。ものを食べなければならない。

 両親は金を置いていった。それでコンビニ弁当でも買って食えということである。私はその金を使っていない。この四十時間、私は玄関に続く廊下へ足を踏み出してもいない。後半の二十時間は、喉を潤すための飲水とトイレ以外、自室からもほぼ出ていない。

家から出るのだ……家から。そのために、まず部屋から。そのためにまずベッドから。

 我が家の玄関から最寄りのコンビニまでは、歩いて五分とかからない。通学の電車において、私は片道数十分のすし詰めを味わっている。それを毎日苦もなくこなす私が、近場のコンビニに向かうことを苦痛に感じるはずがない。いくら空腹といえど、いまだ行動に支障が生じる状態でもない。しかし現として、私はこのようにじっとしている。

動くのだ……身を起こすのだ。やるべきことは決まっている。

 四十時間の断食というのは、普通に暮らしていて経験するものではなかなかない。今すぐ身体がどうこうなるようなものでもなかろうが、それにしてもはっきりと苦痛である。この空腹から、抜け出せるものなら抜け出したい。そして実際、抜け出すことは明らかに可能なのだ。

結論は出ている……!

 しかし私の体は動かない。ベッドに横向けになり、目を強く閉じてぬいぐるみを抱いている。ぬいぐるみを抱く腕はやや震えている。息は荒くなっており、胸が苦しい。手を当てているわけでもないのに、心臓の音がはっきり聞こえる。もしかすると、過呼吸の兆候が現れている。

なぜだ!? 議論の余地なく自明ではないか……! なぜ私は起き上がらない!

 私は歯軋りする。腕に力が入り、ぬいぐるみが千切れそうに歪む。そんな力があるならば、この布団を押しのけて床に下りるなど造作もないはずだ。何も足りないものなどない。

私は空腹だ……! 空腹は苦しい。私は状況の改善を望んでいる。状況を改善するための手段は明白である。その手段は現状の私の能力の範囲で容易に実行できる。私がそれを実行していないのは、「私がまだそれを実行していないから」以上の理由などないではないか!

 あるいは、私の本心とか深層意識というものは、密かにこの状況を望んでいるのだろうか。人は望んだ姿にしかならない、なれないという。その説を採用するならば、私がこうして震えているのは、私の中に自殺願望があるからということになる。

馬鹿馬鹿しい!

 私は明らかに、この空腹の解消を望んでいる。目の前にパンでもあれば、それが多少黴びていても迷わずかぶりつくだろう。泥水に浸っていても構わない。そうするしかないのなら、焼けた火鉢にも手を伸ばすだろう。

ならばなぜ……私はまだ動いていないのだ! 動くだけで済む話だというのに!

 実のところ、このような状況ははじめてではない。ごく些細な瞬間に、折に触れ日常的に立ち上がってくることであった。今回は、過去のそれと比べて多少深刻な事態ではある。それにしても、このような行動の停滞は今まで幾度とあったに違いない。その現出が些細すぎてほとんど自覚もしてこなかったが、それは宿痾のように私の意識を捕らえている。私の生は常にこのように在ったのだ。

接続が正常でないのだ。

 意識の在り方、欲求や動機と、行動を起動するための直接的なきっかけが正常に接続されていないのだ。シャワーが熱ければ、反射的に蛇口をひねるのが正常な接続だ。しかし熱湯を浴びた時、なぜか右足の親指を立てるという反応をする者がいるのだろう。これはつまり、そういうことなのだ。そういった時、私は観察による学習に頼るしかない。

理性だけが……私を助けてくれるのだ……。

 携帯電話が鳴る。両親からだろう。昨日も一度電話があった。その時はまださほど空腹でもなかったので、適当に相槌を打っただけだった。今ならば、真っ先に空腹を訴えるだろう。両親は当然、食事を買ってこいと言うだろう。それだけで、私の接続は回復するかもしれない。あるいは、両親の言葉という別の接続経路によって、行動はいとも容易く起動するだろう。ただし、電話はベッドから離れた机の上にある。

理性だけが……。

 この電話に出ることができるのかどうか、私は私を観察することにした。