第1話「魔法少女きゆら」 Aパート(シーン2)

シーン1の続き。

「無理だと思うけどなあ」

 身長180センチを越える巨人ぜり子(なんと本名)は悲観的な反応を示す。

「うん……やめときなよ……」

 小学三年の図画工作「私の好きな動物」の時間に見事なウーパールーパーを描き上げて以来あだ名がウーパールーパ子略してるぱ子に統一された瓶良山るぱ子*1も、眼鏡の中の瞳を不安そうに潤わせている。

「いいえ! 私たち子供にはよりよい人生を歩む義務があります! 私たちはこの使命に対して貪欲でなければならず、隙あらばいつでもこれを遂行するのです!」*2

 片手を突き上げ宣言し、私は昼休みが始まって早々の教室を突っ走る。もう片一方の手には手作りのお弁当。この弁当こそ、私の魔法の触媒だ。そして目指すは、今まさに学食に向かわんとする諸星さん。その背後から、私は勢いよく声を投げかける。

「諸星さん! おべんと一緒にどうッすか!」

 ほんの一瞬、クラスメイトの視線が自分に集中したように感じた。例外がいるとすれば、当人である私と諸星さん。自分が話しかけられると思っていなかったらしい諸星さんは、まだ明後日の方を向いている。なお、私が私自身を見つめることも当然できない。

「ど、どうッすかー……」

 なんで親ビンのご機嫌を窺う子分口調やねん、と自分自信にツッコミを入れたりしながら反応を待つ。遠く学食の方に向いていた諸星さんの意識が、教室まで戻ってくる。学年平均身長ジャストの私よりもやや小さい、ちんまいと表現してもいいくらいの体型の諸星さんが、小動物的な動作でゆっくりと振り返る。

「今……」

 そして、その目が私を捕らえる。

「なんて」

 小動物のような、自分より大きなサイズの動物でも平気で襲って食べてしまう凶暴な肉食小動物・イタチのような鋭利に刺さる目つきでもって、諸星さんは私をぎっと凝視した。それだけで私は、自身の生殺が握られてしまったような感覚に陥る。

「ごめん。よく聞こえなかったんだけど」

 それは謝罪なのか恫喝なのか。

「今なんて」

「お、おおお」 

 平和な日本の平和な学園、平和なお昼休みの平和な教室だというのに、この子の目はどうしてこうも座っているのか! 新任の気弱な女教師みたいなのがいたら半々くらいで泣くでコレ! ああ、でも心では何とも思ってなくても目つきの悪い子っているよね、うん! 諸星さんは背が低いから、人と目を合わせるとどうしても上目遣いになっちゃうのだ。そんでその角度とか陰とかが上手いこといい具合に影響して、まるでガンくれてると思われてしまう可哀想な星の下に生まれてしまったのが諸星さんの悩みなのだきっと! その誤解さえ解消すれば、私たちは良好な友人関係を築けるはず! はず!

「おおおお、おべ」

 諸星さんは、きっかり十秒*3だけ待つと、何も言わずに席を立ち上がり、すたすた歩み去ろうとした。まずい! 諸星さんは目の前で話しかけようとしている相手ナチュラルに無視することのできる強敵だった。そら友達でけんわ!

「ちょちょい待ちの! でい!」

 咄嗟の判断で、私は去りゆく諸星さんの左腕をむんずと掴んだ。掴んでから、ああやっちゃったかなあと思った。背後でひーと悲鳴が上がったので誰かと思ったら、うぱ子が大眼鏡の中の瞳をくるくる回して狼狽している。変にノリのいいぜり子は、その隣で私の弔辞*4を書きはじめている。

「痛い。何」

 諸星さんは「痛い。何」と言った。再び向き直った彼女の表情には、さきほどと違う明らかに不機嫌な色が出ている。ああ、この子を怒らせてはいけないんだなあと私はようやく理解する。それはとても有用な教訓だと思うのだけど、既に彼女を怒らせてしまった今となっては役に立たない教訓だ。

「用があるなら聞くんだけど」

「はい、はいッ!」

 私は思わず背筋を伸ばす。諸星さんは申し開きの機会を与えてくださると言っている。これが私の最後のチャンスだ。私は間違いのないよう慎重に言葉を選ぼうと思い、しかし慌てていたのでやっぱり特に考えもなしにさっきと同じことを言う。

「諸星さん! おべんと一緒にどうッすか!」

 なんで親ビンのご機嫌を窺う子分口調やねん、と私は思う。そして諸星さんもそう思ってくれてたらいいなと私は思った。

「"なんで親ビンのご機嫌を窺う子分口調やねん"」*5

「はい、失礼しました!」

「……」

「え、えへへ……」

「……」

 気まずい沈黙は打開せねばならない!

「え、えっとですね! 実はあっし今朝おべんとを作り過ぎちまいまして! 片方誰かにあげようと思って、二人分持って来たんでさあ! そんで諸星さんいつも学食らしいから、たまには一緒におべんと食べるのどうかなと……」

「……」

「同じ班だし……」

 諸星さんが返事を返すまでの一瞬、私は諸星さんの瞳の中に何か恐ろしく大きな空洞を見た気がした。そこには何もないということ以外の何ものもない。私のようにいつも心の中を意味で満たしておかなければまともでいられないような人間にとって、意味のないことを前提とする彼女の世界観はとても理解できない。でもそんな感覚は諸星さんの口が開いた瞬間に掻き消えて、私もそんな世界を目にした記憶をすぐに忘れた。

「くれるんだったら、もらう」

 諸星さんから発された肯定の言葉。私の中に渦巻いていた恐れや不安はすぐささま消し飛んで、思わず「ぐへへ」と歓喜が漏れる。ぜり子とうぱ子が駆けてくる。ごめんちょっと机借りるねーとクラスメイト達に声をかけ、十数秒後には四つの机を二つずつ対面させてくっつけた黄金のランチタイムフォーメーションが完成する。

「さあ飯だ飯だー」

 飯だ飯だと言いながらぜり子が弁当箱を広げる。やったね! とうぱ子が両手でか弱いガッツポーズを作る。私は、二つ用意した弁当箱の片方を諸星さんに差し出す。諸星さんは両手で受け取る。

「ありがとう」

 私のカバンの中に隠れているネズミが、よかったね、と他人には聞こえない不思議の声*6で囁いた。

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*1:カメラ山と読む。

*2:繰り返すが、彼女は特に根拠もなく意味もないことを頻繁に言う。

*3:この表現についてはどうやって正確に時間を計ったのかという指摘ができる。しかし彼女の魔法の性質を考えると、彼女が十秒だと思ったから十秒なのだという説明がまた成り立つ。

*4:この距離から弔辞と断言しているのも魔法であろうか。

*5:このセリフを諸星に言わせたのは、明らかに彼女の魔法の効果であろう。

*6:この表現は訳文第一稿では「不思議な声」としていたが、最終的にはこう訳した。「眠りの森」などと同様の構成である。