第1話「魔法少女きゆら」 Bパート(シーン1)

 Aパート(シーン2)の続き。

「はい……プラン通りきゆらとの接触には成功し……予想外なほど順調に進みましたが……」

 ネズミがカバンの中で、何かぶつぶつ呟いている。漏れ聞こえてくる言葉から推察するに、昨日今日の報告っぽい。どうでもいいけど下の名前呼び捨てすんなや。

「ええ、彼女の魔法は優秀です。彼女が傍にいますので、この辺りで。はい、それでは引き続き」

「……なに話してたの、告げ口?」

「委員会への定時連絡だよ! 後ろ暗いことなんて何にもないよ!」

「うわーいうさんくさーい!」

 思わず大きな声を上げてしまったので、私は慌てて周囲を確認する。春の太陽はすっかり沈み、下校ラッシュの時間帯はとっくに過ぎている。幸いなことに、校門前であっても人の姿はまばらでしかない。

「同級生から電波女と思われたりするのって、正直ぞっとしないわけで……」

「人目を憚るのは魔法少女の嗜みだね! そういう被害報告は正直枚挙にいとまがないから、君も人ごとだと思わず重々注意するように」

「その……そういうのって、委員会の制度とかでどうにかならんもんですか」

「事後的な保険なら……」

「ああ……」

 先人達の苦労を忍ばざるをえなかった。

「でも今日はよくやったね! あんなに綺麗に魔法が決まるなんて僕とっても感動したよ!」

「うへへへありがとう! でもあれってどこが魔法なん」

「えへへへへ!」

 にやにやする私。カバンの中から見上げるネズミもにやにやしている。とにかく今日のお昼休みで、諸星さんとの友好関係を構築する試みは成功した。まだ第一歩というところだが、入学以来ずっと一人で昼休みを過ごしてきた彼女にとっては大きな進歩だ。諸星さん自身は私たちの質問に返事をするくらいで相変わらずだったが、何ごともそういうところから始めねばならぬと私は思う。思うのです。

「で、噂をしたら影が差したよ」

「え?」

 影が……たしかに影が差している。曲がり角の公園の陰。屋外灯に照らし出されて、そこから影が伸びている。小さな女の子の影が。

「諸星さん、」

「ちょっと話がある。いいかな」

 待ち伏せされていた……まるでそういう状況だった。諸星さんは、特に怒っているわけではなかった。不機嫌なわけではないし、落ち込んでいるわけでもない。そして勿論、楽しそうなわけでもなく……だから私は、自分がどうすればいいか分からなかった。"この諸星さんをどう受けいればいいのか"、私には分からなかった。

「この時間のこの公園なら、滅多に誰も来ないから。心配はあまりない」

 私や諸星さんの家のあるこの辺の地区は、公園がやたらと多くて……特にこの近所にはもうひとつ別の大きくて照明も明るい公園があるから、日が落ちてからわざわざこっちの公園に来る人はあまりいない。それは分かる……でも問題はそういうことではなくて、

「気をつけるんだよ」

 ネズミが囁く。

「安心して。彼女にも僕の声は聞こえない。僕の声は君だけのローカルだから……君が魔法でわざわざ僕の声を客観世界に反映したりしない限りね。まずは彼女に従うんだ」

 諸星さんが薄暗い公園に入っていく。屋外灯は、ときどき点滅して心許ない。私は、言われた通り諸星さんの後に従う。

「いいかい、彼女は君の魔法を無効化する。だから驚いたり調子が狂うことはあるかもしれないけど、でもそれは完全じゃない。"無効化されることがある"というだけで、その全てが撥ね付けられてるわけじゃないんだ。実際、昼休みの魔法は成功した。今は彼女自身が警戒しているのがネックだけれど……」

 屋外灯からいちばん遠い、子供用すべり台の陰で諸星さんは止まる。

「でも安心して。必ず隙はあるはずだから。恐怖するのがいちばんよくない。空っぽに見える彼女の心でも、そのどこかには人の心が眠っているんだ。君の魔法で、それを取り戻してあげるんだ」

 そうだ。お弁当を渡した時、諸星さんはありがとうと言ってくれた。彼女にだってそういう心はある……理解できないなんてことは決してない。

 私が黙っていると、諸星さんが口を開く。

「どれだけ知っているのかな。もしかして何も説明されてない?」

 その口調からは、やっぱり感情が読み取れず……だから私は、この次の展開が予想できない。

「昼休み、誰に言われて私のところに来たのかな」

 答えられない。状況が分からないから、物語が作れないから、私には何もできない。諸星さんも、そういう私の反応に少し困っているらしい。そんなかすかな心の動きが、私にはとても安心できるものに感じられる。

「じゃあ……委員会っていうところから、接触があったか、なかったか」

「あった」

 やっとそれだけを答える。それ以上の言葉は出てこない。

「文脈が分からないならごめん。一から説明すると……」

「戦うんだ」

 ネズミは「戦うんだ」と言った。それはあまりにも唐突だった。

「彼女に取り憑いている虚無を払う。君に一つだけ術を授けよう。虚無を払う常温の炎だ。直撃させれば、彼女を侵している虚無は焼き尽くされる。この炎は概念的なものだから、もちろん物理的な危害を及ぼさない」

「え、ちょっと待って」

 私はネズミを制止しようとした。それを見て、諸星さんは少しだけ表情を動かしたように思う。

「行くよ!」

 ネズミの声を引き金にして、表現できない色の炎が私の全身から噴き上がった。熱さは全く感じない。ただし、音と勢いは感じる。膨らむような軌道を描いて拡散したそれは、諸星さんを目指して再び一点に収束していく。おおお本当にこういうの出るもんなんだなあ、と私は驚きを禁じえない。

「戻れ」

 諸星さんは避けようともせず、ただ一言そう言った。それだけで、炎はまるで存在していなかったかのように掻き消えた。諸星さんは涼しい顔。ただその目はほんの少しだけ、怒っている。

「手を休めちゃ駄目だ、早く次を撃って!」

「撃つって、そんなどうやって」

「名付けるんだ。メラとかファイアとか、そういう名前を付けるんだ。名前を定義すれば、現象は再現できる」

「名前ったって」

「必殺技のネーミングをいつでも二つ三つストックしとくのは魔法少女の嗜みだよ! 何でもいいからとにかく急いで!」

 何でもと言われたときがいちばん困る。私はゲームキャラの名前決めに数日とかかけちゃう手合いなわけで……。それに諸星さんはじっと突っ立ったままだ。

「だめだ、やられる! 反撃される! 恐ろしい攻撃が来るぞ! 僕が身代わりとなって命を顧みず彼女の前に飛び出すから、君はその隙に安直なしかしパクリではない程度に頭を使ったネーミングを急いでほんと急いで叫ぶんだ!」

「ちょ、そんな、ひ、ひ、」

 急かされて、私は条件反射的に頭を絞る。気がつくと、私はこう言っていた。

ー!」

 私はの呪文を唱えた。先ほどの常温の炎が、再び諸星さんに襲いかかる。諸星さんは、さっきよりも多少焦ったようだった。

「戻れ!」

 まとわりつく炎を払うように、諸星さんは両腕を大きく振り回す。それでほとんどの炎は掻き消えたる。けれど今度は消しきれず、着火した火種がいくつかあった。それらの火種は、諸星さんの服を燃やすことなくちろちろと瞬いている。

「効いてるよ! もっとだ!」

−!」

 諸星さんを炎が襲う。やはり、全ては掻き消せないらしい。戻れ、と繰り返しつつ、諸星さんの顔に明らかな苦痛が滲む。

ー!」

 諸星さんの身体が、徐々に炎に包まれていく。やはり服も髪も燃えていない。この炎は諸星さんの"虚無"だけを攻撃しているのだ。だから、私がこうして呪文を唱え続ければ、諸星さんは必ず心を開いて……

「そういうの、やめてほしい」

 炎の中で揺らめく諸星さんが、いつの間にか私の目の前に立っている。手を伸ばせば届く距離に、諸星さんの顔がある。

「勝負の結果でうやむやにして、問題を解決したことにする……そういうの、やめてほしい」

 お腹に、予想していなかった衝撃。痛さと熱さ。私の身体が傾いていき、最後の視界に諸星さんの姿が映る。スタンガンを手にした彼女は、私を無言で見下ろしていた。

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