ですます調は他人に語りかける文体
なのだと思った話。基本的に、「誰かに語りかける」という前提がなければ、ですます調は使われません。それが特定の相手であるにしろ、もっと漠然とした「読者」であるにしろ。自分用のメモにですます調で文章を綴る人って、ちょっとイメージするのが難しいです。*1
私の文体も基本はですます調です。Webに書いてるわけだから「読み手」を想定してるのは当たり前で、それ自体は別に不都合ないように思えます。でも、ちょっとした思いつきを二言三言だけ書きたいような場合、自分の文章に違和感を覚えることがあります。どうにも「語りかけている」という厚かましさが鼻につくというか、えらそうというか。単なる「論」や「情報」をだである調で箇条書きした覚え書きなんかと比べると、ですます調って"そこに文脈を持たせようとする"感がより強くつきまとうんですね。
ブックマークコメントとかでも、同じようなことを感じます。これも普段はですます調で書くようにしているんですが、どうしてもですます調がそぐわないように感じられる時があります。ある種の「論」や「情報」だけを残したいような時などは、ですます調によって文章に付加される「私のパーソナリティ」的なものが邪魔に思えてしまうんですね。
だから何が言いたいかというと、いきなり非ですます調の文体がこの日記に載っても驚かないでねという話でした。個人的には、箇条書きで要点をぽんぽん提示して、最後だけ文章でちょこっとだけ結論を入れる、みたいな構図とかも大好きなので、そのうちやってみたいものです。