『spica』

spica (講談社BOX)

『エレGY』が変化球だったのに対して本作の筋書きは常道であり、常道であってもその特徴的なホラ吹き文体は健在、やはり歪な奇妙さを帯びた作品になっていました。

 常道と言いましたが、常道であるからこそ作者の精神性が際だってくるという面もあります。主人公の語りでは「自分の主観に価値を置く」という態度が徹底していて、外部の客観世界のあり方にはほとんど見向きさもしません。特に際だって見えるのは、自分の認識/価値観の外部に置かれた存在に対する一種冷酷なまでの無認識の姿勢で、それは自分の世界から切り離す際の痛みはあるけれど、一度切り離したものは「もうないもの」として振り返らない態度です。

 中盤で"主人公の中で"ひとつの物語を終え、それ以降一切登場しなくなったキャラクターなどが、一種象徴的ではあります。「自分がどう考え、どのような物語を感じていようとも、そんな認識とは全く無関係に世界は続いているし、自分に全く影響のないところでも世界はいつも活動している」……というような認識とはちょうど正反対の心性が、ここにあるように思えます。

 そういう世界なので、主人公の認識の中に登場する数少ない登場人物は、「特異点」として際だって見える印象がありました。「外部」を当たり前の存在として受け入れていない主人公だからこそ、「特異点」である恋人/友人たちに対しては存在を賭けて向かい合っているという逆説的な真摯さが見受けられます。究極的には主人公が元恋人「遥香」と向かい合うことが主題となる本作では、その筋書き自体は常道ながら、「向き合う」ことにかけて予定調和以上の掘り下げがなされているように思います。


 テレビの中では、宇宙戦争の現地での映像が流れていた。
(中略)
それはあまりに美しい光の流れだったので、その光の一つ一つが誰かを殺そうとする光であり、また誰かが叫び声を上げながら死んでいく光であるということを、僕は思わず忘れて見惚れてしまっていた。
(中略)
 遥香ならこの映像を観てすぐに、何の迷いもなく「最高に綺麗」と言うだろう。それが不謹慎であろうがなんだろうが気にも留めず、光の中の死者への悼みも含めてそう言うだろう。遥香はそういう女性だ。

(太字強調は引用者)

 そういう世界観と関連づけるべきか、別の問題なのかは分かりませんが、上記引用のような感性が恋愛小説に出てくるというのがまた、この作者さんの特徴的なところです。現世的な倫理観を超越した宇宙輪廻的感性と、人間の繊細な心理描写の結びつき。もともとSF方面への偏りが大きい泉さんにとって、こういった倫理観は感性の奥深くに根ざしているものと思います。

 本作や前作『エレGY』のSF的趣向は、ホラなど「語り」の部分に乗せてくる形の表現でした。次回作の『ヘドロ宇宙モデル』では、これがもっと作品の深いところに根ざしてきそうな雰囲気です。