またなりゆきで究極の内功法を体得し、遂に長い間悩まされてきた「内力」の問題をクリアした主人公。正確無比な技に加えて強靱な内力も加わり、既に彼の強さは江湖全体で上から何指というところに達していると思うんですけれど、それが彼の状況を好転させているようにはちっとも見えないのが面白いです。
結局、彼の直面している最大の問題は「正当流派からの追放と元同門からの不信」にあるわけで、いくら腕っぷしが強くなろうともそのせいで立場的にますます窮地に追いやられるのではどうしようもありません。ものすごい勢いで茨の道を歩む主人公だなあと思います。
茨の道と言いましたが、主人公の令狐冲さんは基本的にドラゴンボールの孫悟空に負けずとも劣らない陽気で快活な人格です。本作の彼をとりまく不幸な境遇は、そんな彼からすら明朗さを奪ってしまうくらいのものなのだ……ということで、この不幸の畳みかけが凄いです。この不幸な展開にはたしかに作者の恣意的操作があって、そういう意味では普通と逆の形でのご都合主義展開と言えなくもないんですが。
本作、強さのインフレの制御が面白いです。主人公が徐々に強くなっていく、というのはたしかにそうなんですが、その成長の仕方がちょっと単純ではありません。
主人公・令狐冲さんは、武林では中級程度の使い手ですが、第二巻の中盤ほどでいきなり武林屈指の秘技を身に付け、当代最強クラスの強さを得ます。ところが彼はほぼ同時に重大な内症を煩い、そのため自身の強さを完全に発揮できない状況に追い込まれます。以後しばらく、彼にとっての成長は"病からの回復"と同義となります。
普通の成長もののように"ただ徐々に強くなる"のではなく、いきなり最強クラスに昇りつめてからこういう複雑な成長過程をたどるというところに、金庸さんの一筋縄にいかない作風が現れているように思います。今巻で内症快復と同時に手に入れた秘法もある面では麻薬的な"邪法"であることが示唆されていて、令狐冲さんの複雑な成長はまだ続きそうな感触があります。
なににしても、お話の最終的な目標は上述したような"どうやって地に墜ちた名声や信頼を回復するか(またはしないか)というところに戻ってくると思います。"こっち方面では今のところ状況が悪くなるばかりで、先は長そうだなーと思い知らされるところです。