「物語感覚」は普遍的ではないのかもしれない

 リンク先の話題は非常に初歩的な話ですが、物語を実作するにあたってこういうところから入っていく姿勢は、大塚英志さんの物語論っぽいなと思いました。

 大塚英志さんのやってる「物語論」のことは、ずっと不思議に思っていました。ああいうのは物語の批評的な意味での高度な分類やそれを肴にした与太話、または実利を度外視して分析のための分析に特化した高級学問としてけっこう面白いんですけど、それを実作に役立つものとし、「実用書」と銘打って『ストーリーメーカー』みたいな本を出すのはどうなんだろう……と、ちょっと理解に苦しんでたんですね。これは大塚さんが単に変な人なだけなのか、それとも本当に(需要だけでなく)効果のあるものなんだろうかと。

 たしかに、物語を成立させるためには最低限の物語構造は必要*1なのですが、それは「車はタイヤが4つないと走れない」というようなものだと思うんですね。確かに4つのタイヤは必須だけど、「タイヤさえ4つ揃えれば車は走れる」というものではありません。そしてエンジンやら何やら全ての部品を用意して組み立てる力を持った人が、今さら「タイヤのつけ方」というピンポイントな細部の技術だけを磨いてどうなるとも思えないのです。*2

 たとえば、村上龍さんが「物語には穴に落ちた男が這い上がるか、そのまま穴の中で死ぬかの二パターンしかない」的なことを言ってましたが、これは別に村上さんが最初にこのレベルの物語構造を考えないとお話を書けない人だということではないでしょう。村上さんほどの人であれば、ある程度までの物語構造は高度に感覚的なところで制御しているはずですし、それを後から分析した結果としてこういう言葉が出てくるのだと思います。それは物語作りの秘訣でも何でもない、当たり前のことを言葉通りに述べただけです。「人間には男と女しかいない」と言っているようなもので、それだけで人間の全てが分かったつもりになるのは間の抜けたことですし、しかもその二元論に当てはまらない人も実は予想以上に沢山いるわけです。

 こういった基本的な物語感覚って、「人の嫌がることはやめましょう」に代表される他人の一般的な心理構造を把握していく過程と同じようなもので、成長するとともに自然と体得するものだと思っていました。ただ冒頭でリンクした記事に300件以上のブックマークが集まってる*3のを見ると、意外とそういうわけでもない人が相当数いることになるのかもしれません。飲み会で積極的に喋れない人と喋れる人の間に圧倒的な断絶があって、お互いに「何でそれが出来るんだ/出来ないんだ」と思ってるようなものなのかなと。その点を考えると、大塚さんの『ストーリーメーカー』みたいなものが有効になってくるのはどういう局面なのかは見えてくると思います。

「物語はメカニズムと再現方法さえ知っていれば素人にも工学的に量産できる」という大塚さんの主張を、私は「物語構造さえ再現できれば、完成したひとつの作品が工学的に量産できる」という意味に捉えていて、そんな馬鹿な話はないだろうと思っていました。でも*4ひとつの作品未満であるストーリーの骨組、本当に「最低限の物語」を構築したいだけなら、それがメカニズムだけで形にはなるというのも嘘ではないように思えます。

 たとえば個人ゲーム作家がRPGにストーリーをつけようとした場合、もし物語が平々凡々でも、ゲームシステムの部分が秀逸であれば十分「良作」とみなされうるわけです。そういう時は、とりあえず破綻していない物語が必要になってきますし、それだけで十分だとも言えます。こういう風に話を持っていくと、『ストーリーメーカー』のような創作論は物語作家志望者よりもむしろそうでない人、ゲーム作家や映像作家等の"物語をオプション的に扱う人"にとって有効なアイテムであるように見えてきます。そうであれば、物語を工学的に生成するという大塚さんの考えは、確かに的を得ているのかなあと思いました。

*1:ただし、物語を成立させなくても既に十分面白い作品ももちろんあるわけでして……。

*2:いちおう、これが肯定されるニッチな例も書いておくと、物凄く面白いアイデアを思いつけるし文章力もあるんだけど、物語だけはなぜか意味わからんザンゴフガラバ族のいそがしい背筋の儀式みたいになってしまう……みたいなピンポイントなところで悩んでる人なら、とりあえず作品の最後の体裁を整えるために物語の定型が有効になってくることもあるかもしれません。あるいは乙一さんのように、上記した全ての条件を高いレベルで満たす能力を持った上で、さらに定型プロットを利用することで作品を綺麗に整型しているような例もあります。

*3:とはいえ、ツッコミのコメントをしてる人も多いんですけど。

*4:大塚さん自身が実際にどう考えているかは置いておくとして。