史上最低の東方クソゲー二次創作 - 『さなえチャンは囚われてしまった!』

 作者本人に「オラッさなトラの感想書けよっドンドンドン」って自宅に押し掛けられてなんか怖いので感想書きます。この記事タイトルを指定したのも作者本人です。いい釣りタイトルですね。ひどい。

 なんだこりゃクソゲー! と言えばいいのかなんなのか。この作品を一言で簡潔に説明する術を私は持たないのですが、ジャケットにも「クソゲー」って書いてあるのできっとクソゲーでいいのでしょう。

 忌み嫌われた幻想的なクソゲーの伝統

 ということでクソゲーです。なんだこりゃクソゲー。うーん。いえ、凄いゲームだと思うんですけどね。

 ひどい。

クソゲー

 あー。でもクソゲークソゲー言いましても、本作のクソゲーポイントはパロディ元の由緒正しきクソゲー、『マインドシーカー』に負うところが大きいです。システム周りの動作やメッセージ、序盤のチュートリアルなどは、原作のものをそのまんまパロディ的に再現している様子です。『マインドシーカー』は「プレイヤーの超能力開発トレーニング」という名目の下、「成功/失敗の判定が完全ランダムに運だけで決まる」というどうしようもないシステムでした。本作もこれに倣い、さなえさんの神通力を強化せよという建前で、試行錯誤なき不毛なトライ&エラーをプレイヤーにえんえん強いてきます。なんたる苦行。

 ただし、『マインドシーカー』要素を省いたオリジナル部分はストーリーとしてちゃんとまとまっていて、端的に言えば「さなえさんが周囲の皆からえんえん説教されまくる」というもの。あれ? やっぱクソゲーやん、とか言われたら何とも返しようがありませんが、人のゲームを無闇にクソゲーとか言うの私はどうかと思います。はい。

表現とか

 相手にお話を無理矢理読ませたい時、ゲームって優れた媒体だなあと思います。小説はお話が全てで他のものがないので、お話の意味が分からなければ読者は途中で読むのをやめてしまいます。これがゲーム媒体だと、ゲーム自体の進行の合間合間に短いストーリーを差し挟んでいく形にすれば、お話の意味が分かんなくてもプレイヤーはとりあえず最後まで読んでくれます。極端な話、小説みたいに明確なストーリーや語りがなくても、よく分からない呟きとか説教を積み重ねていくだけで最終的には広義のひとつの「お話」を形作ることが可能、と。

 善し悪しだとは思いますが、そういう性質は時に形式を無視したシャープでダイレクトな表現に繋がることもあります。本家東方原作自体にそういうところがありますが、本作もまさにそういうやり方で「お話」を物語っていきます。意味不明な語りを、無理矢理最後まで読ませるゲームの力。その「ゲーム」が『マインドシーカー』なのが本作の酷いところなのですが……。ただ、それが意図されたものなのかどうなのかしらんですが、本作のゲーム部分が『マインドシーカー』であることは、お話の不条理さにマッチして絶大な効果を上げていたと思います。

 わけ分からんくて憤りながら、徒労以外の何ものでもない神通力トレーニングを受けさせられる主人公さなえ。なんか知ったような顔をして、次々襲いかかってきては説教垂れまくる幻想郷の面々。全体的に茶番劇っぽいし、誰かに物凄く馬鹿にされてる感じがします。しかも極めつけに、強いられるゲームが『マインドシーカー』ですよ。「頑張って超能力を鍛えればなんとかなるよ!」というホラで糊塗された「試行錯誤ではどうにもならない確率」、そしてそうと分かりつつも用意されたストーリーの上を歩まざるを得ない状況が、もうこの上なく不条理です。

 そういうどうしようもない袋小路に陥らされて、さらに言われるの言葉は「さなえには覚悟が足りない」。もう本当に一体どないせいちゅうねん、というところで、これほど語りとシステムが一体となって不条理感を醸し出す作品はそうそうないと思います。つまり、プレイしてるとどんどん酷い気分になれるということですね! いえ冗談じゃなくて、この「不条理」とそれに対する「苛立ち」は、特異でありつつも身に沁みて実感できるものでした。その感覚への興味だけで、マインドシーカーの果てなき徒労に諦めずクリアまでこぎつけたと言っても過言ではありません。表現の形式まで含めて、たぶん『lain』とかああいう感覚がなきにしもあらず。

 作品のテーマとか、メッセージ的なものが読み取れたかというと、私は正直怪しいです。大体この辺かな? という感触はあるものの、あーでも逆かもーという思いもあり。この記事の解釈自体、作者の考えと正反対という可能性がわりとありそうな気がします。でも作者的にはそれなりに確固としたメッセージがあるっぽい、という感じがあとがきやその他諸々の発言から窺えて、じゃあ私が読めてないのかなあ、それとも読めるようにできてないのかなあと、ちょっと一意的に解釈するのは難しい作品ではありました。とりあえず二周、三周して、もうちょっと深いところまで読み込みたいとは思っているのですが。

しめ

 私は今までフリーゲームばっかりやっていて、それ以外の同人文化にはさっぱり触れてこなかった人間です。だから正直なところ、「フリーゲームの世界にはフリーゲームでしかできない特別な表現がある!」みたいなしょうもない信仰が心の中に燻っていて、それと対比して有料同人ゲームを蔑視する選民的偏見が拭い切れてはいませんでした。

 でも、フリーゲームの『ヴァンガード・プリンセス』が「商業レベルを超えた作品」とかそういう方向性で賞賛されてる一方で、秋葉原に並んでるような有料同人ゲームでも本作のような「商業ではできない表現」を目にすることができるわけです。そういうものを求めてる人にとって、本作の方向性はひとつの極北なんかなあと思います。

 しかしそれにしても、28枚のコインを投げて20枚以上表出せ的な確率を要求してくる魔理沙の人には殺意が湧きました。何十回もトライしてようやく勝ったのに悔しさしか残らないってどういうこと。もうしばらく魔理沙の顔も見たくないです。なんだこりゃクソゲー