悪しきマッチョは老害と似ている

 老害既得権益を保持してますから、世の中を現状をよくしようとしなくても食べいけます。そして老い先が短いから、将来の可能性を潰すようなことをしても、彼ら自身は損をしません。若い人たちの立場に立っても何ひとつ得しないから、それを平気で度外視できる。そういう行動を指して、老害と呼ぶわけです。

 一方、悪しきマッチョは「自己責任」を掲げても損をすることのない、基本的に有能な人たちです。みんなで弱さを補い合い、庇い合って生きるよりも、一人で行動した方が断然効率がいい。「持たざる者」と助け合っても、足を引っ張られて損するだけです。だから自助努力と自己責任で回る社会を称揚し、積極的に人々をその文脈に乗せようとするわけです。

 もちろん、悪しきマッチョも老害と同じで、向こうの立場からしてみれば「自分たちが得をする最適な行動」をとっているにすぎません。この対立軸で見る限りにおいて、「持てる者」と「持たざる者」には利益の重なるところがありません。「自己責任」と言った結果、それを確立できない人が脱落していっても、それはむしろ望むところ。これはいわば、価値観上の階級闘争となっているわけです。

 そのように見れば、マッチョ/ウィンプの論争が噛み合わないのも当然です。対立には、認識の齟齬から生じるものと、利害の違いから生じるものがあります。私たちは前者の対立の解消を期待して話し合いを繰り返すわけですが、そういった議論も利害の対立までは解決してくれません。

 かなり乱暴な言葉の使い方をしてますが、「オタク」そのものであるオタクがいないように、「悪しきマッチョ」(筋害?)そのものである人もいなくて、これは抽象的な言葉として理解すべきです。「持てる者」という傾向と「持たざる者」という二極の傾向があり、それらの織りなすバランスがあるよという話。どっちの極に振れても世界が滅びるので、多少心に余裕のある人はバランサーになるのがいいと思います。

(たぶん薬物でドーピングして自分を無理矢理マッチョに強化したけど薬が切れるとすぐ死んじゃう虚弱ウィンプがブクマの海をさまよってると思いますが、彼がストームブリンガーに手を伸ばすような事態に追い込まれないことを切に願います。恐ろしいことになるで)