選択肢なきルート分岐 - 『うみねこのなく頃に Episode6 Dawn of the golden witch』

 今回も語るべきことはいっぱい。どこから話したはじめたものか、正直考えあぐねているのですが、ともかくぽつぽつと書きはじめてみます。「具体的な事件、出来事」に関するネタばらしはほぼありません。

象徴だけでできた物語

 今回のうみねこは、いつも以上に難解だと感じました。謎やトリックや設定が難しい、という意味ではありません。「これはどのように捉えるべき作品なのか」がなかなか定められない、そういう種の難しさです。

 どういうことかというと、今回は象徴*1が非常に多い……というか、ほとんど象徴しか描かれていないのです。具体的な「現象」を伏せたまま、その「象徴」となる描写だけをどんどん組み合わせていったら、いつの間にか「象徴」だけで一つの物語構造体ができてしまった……という感じ。もう何が起きてるのやら分かりません。

 物語の描写レベルを「ファンタジー」と「ミステリー」に二層化し、互いに対立させ、あるいは補完させ合う。それが本作の基本的な構造です。「ファンタジー」層のある描写が「ミステリー」層のある出来事を象徴していることは往々にしてありますし、その逆も然り。この構造だけを見てとっても、本作はデザインの段階から「象徴」の効果を駆使するべく構想された作品であったと言えます。

 もちろん、うみねこに仕掛けられた「象徴」は、この二層関係に限った話ではありません。同一のモチーフが形を変えて繰り返し現れたり、誰かの行動が別の場面で同じ意味で/あるいは逆の意味で反復されたり、そんな表現は本当に随所に見受けられるものでした。そしてEP6となる本作では、その「象徴」がいつも以上に強力に前面に押し出され、遂に物語の重心までもが完全に"あっち側"にシフトしてしまった感があります。

「衝撃的な告白のシーンで雷が鳴る」ような演出は、色々なメディアで頻繁に見られます。この場合、「衝撃的な告白」は実際に起こった「現象」ですが、「雷」はその現象に対応する「象徴」*2としての意味があります。普通、「現象」と「象徴」はセットで描写されます。ただし、あえて「象徴」のみを描くことで「現象」を思わせぶりに暗示するような手法もあります。

 そして本作では、この暗示が徹底的に押し進められていました。ひたすら「象徴」だけを舞台に上げ、その裏に隠れた「現象」を明かすことのないまま、まるまる一話の物語を完結させてしまったのです。だから今回は、背景の分からないまま進む展開*3が多いし、「新たに判明した事実」も全くと言っていいほどありません。

 もちろん、これは決して悪いことではありません。「象徴」とは「意味」そのものですし、またその背後には「具体的な何か」が控えているはずです。今回「象徴」としてのみ語られた諸々が「背後の事実」と結実した時、そのカタルシスは相当のものになるでしょう。そうして見ると、ひたすら「象徴」によって形作られた本作は、シリーズ全体の中でも重要な「布石の回」となるはずです。

 こういう「象徴」の使い方は、一種の文学表現として、昔から使われてきたものです。加えて本作では、ミステリー的な趣向も踏まえた上で、かなり複雑な「現象」と「象徴」の対応関係が構築されており、それは既にひとつの構造体とまで言えるものになっています。犯人やトリックなど局所的な謎ではなく、物語の構造自体をミステリー的興味の対象とするタイプの作品がありますが、本作はまさにその極北でしょう。

作品認識の多層化と相補効果

 こういう風に象徴、象徴と繰り返すと小難しく感じますが、とりあえずお話の筋を追うだけなら、別にそんなこともありません。せいぜい「設定の複雑なメタファンタジー」くらいの認識でいれば、普通にエンターテイメントとして楽しめるようにも作られています。勢いに任せて読んでるだけでも凄く面白い、というわけです。

 まず単純に、演出や作劇など「ノベルゲーム」的表現が抜群に巧い、というのがあります。これはもう、さすが竜騎士さんとしか言いようがありません。別に、美麗なグラフィックやハイクオリティな映像を武器にしているわけではありません。ただし、あり合わせの単純なエフェクトが劇的な感覚効果に変貌する角度とタイミングを、完璧に知り尽くしている。ゲームとプレイヤーの間合いを見極めた、一種の職人芸と言えるでしょう。

 そして、前述した「二層化」の効果が、ここでも別の形で働いています。「背後に何らかの本質を控えた象徴表現」を示しながら、同時に「単純なエンターテイメント」の感覚で鑑賞することもできる、というその構造。テーマ性とエンターテイメント性を高度に兼ね備えた作品は多くの作家が目指しているものではありますが、別に「ライト層でもヘビー層でも楽しめるからマーケティング的に有利だね」とか言いたいわけではありません。ここでもやはり、両層が互いを相補的に象徴していることに注目したいです。

 人間の脳はわりとアバウトなので、テーマに対する抽象的で論理的な思考が、ゲームの演出効果によってもたらされる感情的な衝動と結びつくことも往々にしてあります。思考と感情がよく分からない感じに相乗した時の振幅にはちょっと計り知れないものがあって、これがうまいこといけば、ありえないくらい高いところまで感情を連れてかれることもあるでしょう。私がEP4の時なんかげろげろ言ってたのは、思考が混乱して頭の中がパンクした結果モニタの前でぶるぶる泣き出すという反応だったのですが、これもその一種、というか亜種ではあります。

 なにより、本作はゲームです。正しく思考して勝利した時は、勝利の快感を強調する演出があった方がいいですし、混乱してピンチに陥った時は、その絶望感にトドメを刺すような仕掛けで追い打ちをかけるのもいいかもしれません。「ゲーム状況=プレイヤーの思考」と「演出効果=プレイヤーの感情」がリンクするのは、ゲームとして非常に正しい在り方だと思います。

双方向ゲームの一手

 作品認識の多層化という話が出たので、多層化の話をもうひとつ。「うみねこ」は作者とプレイヤーが交互に行動するターン性の双方向ゲームであるという話は、以前から竜騎士07のミステリーが「本格推理」でない単純な理由などの記事で触れています。本作の特に中盤〜終盤にかけての流れ*4は、まさにこのゲームシステムを応用・展開させるような試みで、たいへん印象的でした。

 これは、上の方でも「背景の分からないまま進む展開」(※1)という言い方で触れた箇所です。既に述べた通り、それが具体的にどんな事実を反映しているのか作中で一切明示されないまま、ひたすら「象徴」の物語のみが描かれていく展開で、普通にプレイしていると多くのプレイヤーが混乱するところだったと思います。

 ただし、実は作品の外側には、この展開に関する大きなヒントがあったとも言えます。Web上のうみねこ考察サイト等で交わされてきた議論の中に、一定の認知度を誇る「とある仮説」があるのですが、この仮説を踏まえた上で本作の該当箇所を読んでみると、わりとすんなりと「何が起きているのか、何が象徴されているのか」が解釈できてしまうのです。

 これはつまり、Web上の考察状況を観察した竜騎士さんが、「考察にある程度積極的に参加している人なら分かる/参加していない人には分からない」くらいのところを狙って、作品に対する認識が二通りに別れるような一手を指してきたと見るべきなのでしょう。これまでも、「気づける人にだけ気づける要素」が作中に潜められてきたことはありました。けれど、その仮説が頭の中にあるかどうかで、ここまで大規模に物語認識が分岐する表現が登場したのは、たぶん今回が初めてです。

 個人の思考や理解度で認識の別れるような描写はいくらでもあります。でも、そういった個人レベルの思考をバランスよく制御して、たとえば「半分くらいの人が自力で解ける程度の謎」を作るのは相当難しそうです。でも、「とある仮説の認知度」という観点に絞ると、制御はぐっと正確になるのかもしれません。あるいは、頭をひねって作品を考察したプレイヤーに対する、ちょっとしたリターンなのかもしれませんが。

「自分の理解は一歩先に進んでいる」という感覚はミステリーの気持ちよさのひとつですし、このケースだと考察プレイヤーどうしの連帯感のようなものを喚起する効果もありそうです。とか、「二層化したからなんやねん」と言われた時に何と答えるかで無理矢理いろいろ羅列しましたけど、もっと単純に「ルートではなくプレイヤーの認識が分岐する」構図そのものが面白い、という話でもあるでしょう。

 なにせ、「選択肢のないノベルゲーム」として有名になったこのシリーズが、いつの間にか「選択肢なしで物語を分岐させる」という逆接的表現をものにしていたわけです。積極的に推理に参加した人にはそれ相応のルートが用意され、そうでない人にもまた別のルートが用意される。もっと言えば、このくらい仮説の乱立した作品であれば、その人がどの仮説を信頼しているかによってもかなり見え方は変わってくるわけです。そこで「プレイヤー分岐システム搭載」とか変な煽りつけて売り物にしたらあまりの「里見の謎」くささに叩かれそうですが、それにしてもはじめから一貫して「プレイヤーの認識が分岐"しやすい"作品」を指向していたとは言えそうです。

しめ

 いろいろ言いましたが、今回もやはり「布石」的な側面の強い回でした。EP2やEP3の頃は毎度のように生じていた構造の劇的な転換もなりを潜めてきて、そろそろ外枠の「システム」よりも内部の「テーマ」に本腰を入れてきた感じです。これまで本作の最大の特徴であった他に類を見ないゲームシステムも、大局的に見るとテーマを表現するための準備のひとつにすぎなかった、ということなのだと思います。

 EP5、EP6とカタルシスを抑制してきて、そろそろ作品世界の隅々にまでに余すところなく爆薬が行き渡ったような状態です。さすがにこれ以上我慢することはできないだろう……ということで、次回のEP7では、それはもう凄絶な大爆発がぶちかまされることでしょう。正直、ここに来てまたこの人が何やろうとしてるのか分からなくなって結構混乱してたりもするのですが、それでもまだ何かしら想像のつかない隠し玉を潜めているだろうことは想像できます。とにかく、EP7公開までにできるだけ作品理解を深めておくことが今できることなのかなあ、ということで、夏までに一通り再プレイを済ませておく必要があるなあと考えている次第です。

*1:この記事では、かなり大雑把な意味で「象徴」という言葉を使っています。

*2:もちろん、「実際に雷が落ちたんじゃないの?」と言われたらそりゃそうなんですけど、それも作者の手による物語補正の力によって、象徴的に引き起こされた現象だと言えます。

*3:後述で詳しく。

*4:ぼかして言うと、「あの二人の試練」のくだり。