ライトノベルの形をした「物語」批判 - 大樹連司『勇者と探偵のゲーム』

勇者と探偵のゲーム (一迅社文庫)

 「勇者が巨大侵略UFOを撃退すれば、次の日には防衛法が整備される」「探偵が妊婦連続殺人事件を解決すれば、出生率が上昇する」などなど、社会問題を象徴する「物語」を次々と生成しては現実と直結させる「日本問題象徴介入改変装置」。この装置によってライトノベル的な予定調和物語が日常のものとなり、現実と物語に対して冷め切ってしまった人々が暮らす街。といったあたりが、本作の骨格となる舞台と心性です。

 装置によって生成されるライトノベルの「お約束」が徹底的に揶揄的な態度で語られていくなど、本作はきわめてメタライトノベル的な要素が全編に(しかも否定的に)散りばめられています。ただし、本作が批判しようとする対象は決して「ライトノベル」に限られるわけではなく、むしろ「物語」の恣意的な性質そのものを糾弾しているように見えました。だから、本書を「ライトノベルのお約束批判」と評して話を終えてしまう向きが多いのは、ちょっとどうなのかなという気がします。

 本作からは、「物語」に対する強い苛立ちが感じられます。それは、自分にとって受け容れやすい、都合のよい「物語」に沿って他人の内面を一方的に想像し、全てが分かったような顔で勝手に納得してしまう心性に対する嫌悪感です*1。たとえば、誰かが自殺した原因を皆で都合よく解釈して"いい話"にしてしまう心性とか、様々な人が傷つき不幸になった出来事に対して「悲しいこともあったけど挫折を乗り越えて僕たちは成長しました、めでたし」とあっさりオチをつけてしまったりする神経とか。

 そういう思考様式に対する批判が読み取れる点で、本作は単なるライトノベルパロディに終わっていません。ラストのオチなども、お話的なサプライズというよりは批評的な自己反駁としてこそ、必然的に描かれなければならない展開だったと思います。この「反物語」*2的な問題意識はとても共感できるのですが、ただ特にそういう問題意識のない人が本書を読んだ時、それをすんなり理解できるのかどうかは微妙なところでもあります。(人の感想をざっと検索したところだと、やっぱり「メタライトノベル」としてだけ見てる人が圧倒的に多いようでしたし……。

「物語」自体を批判の対象としている以上、物語の表出である「描写」や「演出」や「エンターテイメント性」を排除しているのは、当然といえば当然です。それがないことによって、逆説的に「物語」的と展開が直感的快楽がいかに密に結びついていたかを思い知らされるところですけれど、本作を読む人に要求されるのはそれとは別の読み方でしょう。もちろん、「これは物語ではない」と言いながら、結局物語になってしまわざるをえない構図にこそ、本作に秘められた最大の皮肉があるわけですが。

*1:作者の意図を云々しようとするこの発言自体も同様の構造に陥ってるので、危ないなあと思いつつ。

*2:勝手にそう呼んでますが。