『神曲 地獄篇/煉獄篇』

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)
神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

 小説? でははなく詩なわけですが、便宜的にNOVELカテゴリへ。

 文語訳とかいくつかあるそうですが、本書は口語調の訳で読みやすうございます。重厚な荘厳さとかが減じてしまうのは仕方ありませんけど、原文がラテン語でなくトスカーナ方言で書かれていた点を踏まえれば、このようなくだけた訳の方が本性に適っている、という説明には非常に説得力がありました。文語調だと読むのにどれだけかかったか分からないので、現世的な意味でもたいへん助かりましたが。

 古代の詩人ウェルギリウスに導かれるダンテが、地獄・煉獄を見物しながら遂には天国に至るという筋。地獄の悪魔やギリシア神話の悪魔、苛烈で独創的な贖罪の光景はまさにファンタジー的な興味をそそるもので、豊富なイメージによって描かれた、キリスト教世界の壮大な設定資料集だなあと思います。当時の世相を反映している……というか、注釈なしではぶっちゃけ意味の分からない人物や出来事に対する言及も多いので、その辺はよしあしでしょうけども。

キリスト教道徳こわい

 一貫してキリスト教的道徳を説き続ける本作は、一見非常に良心的な価値観に従っています。ただそれは、あくまでキリスト教の模範内での良心です。だからマホメットが極悪人として地獄に堕ちていたり、男色それ自体が自然に背く悪しき愛として断罪されたりしています。作者が自らの善を確信しながら自信満々で彼らを裁いていく様には、複雑な感情を覚えさせられます。

 特に、人格者にして偉大なる先人としてダンテを導くウェルギリウス先生の扱い。彼はキリスト教誕生以前のギリシアの人なので、当然洗礼を受けていません。洗礼を受けていない魂は、どんな善人でもそれだけの理由で地獄堕ち*1です。えらい不条理な話に思えますが、厳格な道徳とはそのようなものなのでしょう。こういう様を見ていると、現代の私たちが当たり前に浸っている道徳だって、後世の人々にどんな風に思われるか分かったものじゃないなと思います。

ダンテもっとこわい

 作者にして主人公であるダンテは、悔い改めた未熟な善人、いつかは天国に昇る人として描かれます。そのくらいはまあご愛敬ですが、彼は神という最高権威を自分の筆の中で味方に回すことで、もっと露骨な価値判断を次々とやってのけます。

 特にそれが顕著なのは「地獄篇」です。歴史上の人か同時代の人かを問わず、ダンテがそうと判断した人物たちは片っ端から地獄に堕とされて、永劫の罰と懺悔に苛む者として描かれます。腐敗した権力者のように、断罪されるべくして断罪された人も多いのだろうとは思いますが、同時代の政敵とかもノリノリで地獄に堕としたりしています。神という最高の権威にごく個人的な恣意的感情を代弁させているわけで、タチはたいへん悪いです。匿名ダイアリーだったら間違いなくネガコメで埋まるレベル。すごいことやるなあ、と。

 そういう背景もあり、神と聖女の後ろ盾を得た上で、安全な位置から懺悔するのってどうなのか、とは思うのですが、その枠の中で悩み苦しんでいるダンテの姿が正面から詠われているのもまた本当の話なのでしょう。面白い作品は、その作品の道徳的価値に関わらず面白い、という当たり前のことを再確認させられるような作品でありました。

*1:洗礼を受ける間もなく、幼くして死んだ子供も地獄堕ちとのことで。