アイちんが頭よすぎてこわい - 入江君人『神さまのいない日曜日II』

神さまのいない日曜日II (富士見ファンタジア文庫)
 大賞受賞デビュー作の続編。受賞作の続編というと「せっかく一巻で綺麗に完結してたのに」……とか文句言われるのがもはや定番ですが、本作でそういう評価はほとんど聞きません。むしろ「受賞作の二巻であるにも関わらず……」的な感想が多いことから、本作の出来が推し量れるというものです。

 技巧ははっきりと上達していますし、ある種とらえどころのなかった前作と比べてストーリーラインもくっきりとし、"とっかかり"が掴みやすくなっています。テーマ的にも前作からさらに踏み込んだ領域を描いていて、作品の方向性としてもぶれがありません。つまり、おおよそ文句のつけようのない続編に仕上がっていてよかったですね、と。

アイちんがまるで探偵

 本作では、大半のシーンが主人公・アイちゃんの視点で進行します。脇役キャラの出番は相対的に少なめになってしまうのですが、そのぶんアイちんの描写に気合いが入りまくっています。12歳の彼女は一見すると天然じみた元気な女の子で、行き当たりばったりに騒動を振りまいているように見えます。でもその実、よく読んでみると、彼女はそうとう頭のキレる子でもあります。本当はこうなんですよね? と大人の嘘を指摘したり、その秘密にはうすうす気付いてましたよ、と涼しい顔をするシーンがかなり多いのです。

「ユリーさんこそ、私が気付いていたことに、気付かなかったんですか? 私はそんなに、おめでたいように見えましたか?」

 これが本書の中でいちばん印象的だったセリフなのですが、つまり彼女はちゃんとものごとの裏が見えていて、その上で"計算というわけでもなく"とぼけた風に振る舞っているらしいのです。これが単にカマトトぶっているのなら腹黒幼女とでも呼べそうですが、そのわりに彼女には邪気がなさすぎます。嘘に包まれ、嘘に気付かないふりを"してあげながら"育ってきた彼女にとって、こういう態度はごく自然なことなのでしょう。隠された情報を次々に開示していくという点で、彼女は「探偵」の役割を負っているように見えました。

子供に対して容赦ない

 物語は、アイちんの「世界を救う」という目標をテーマに据えて正面から切り込んで行くのですが、これがまた容赦ありません。それは単なるお前のエゴだ、とか、実は自分が楽になりたいだけだろう、とか、お前の行使しようとしている正義が人を傷つける件について、とか。思春期の壁とかならまだしも、夢に向かっていざ走り出そうとしている12歳児にいきなり鏡を突きつけて、己の醜さを思い知れ! と出鼻を挫くのです。おそろしく残酷なお話です。

 そして、そういった壁に真っ向から突っこんでいくアイちんもアイちんで、一度見えてしまった問題を見ぬふりすることが出来ません。すぐに答を出せない問題に対して「保留します!」と堂々と言い放つのですが、これなんか「答えが出るまでずっと自分の中で考え続けます」と言ってるようなものです。ものすごく立派。立派すぎて、ちょっとかわいげがないくらいです。

 もちろん、子供だから大人に守られる必要があるし、甘いお菓子が必要だし、友達も必要です。そういうわけで、今回登場したアイちんにとって初めての"お友達"が、まるで影のような相似対称の存在として描かれていたのはよかったです。アイちんがそこらの大人以上に大人びてるため、彼女を"叱る"役割の人が逆にブーメランを食らってしまう。そのかわり、同じ子供同士であれば彼女を叱ったり受けとめたりできるようになっているのが面白いです。

 本作ラストのアイちんの選択は"たとえ相手を傷つけてでも"自分の正義を行使する類の決断で、けっこうな危うさを含んでいました。ただ、この"お友達"が彼女の決断を受けとめるような形で前に出てきたことで、物語に異なる価値基準が導入されます。もしも本作の物語がアイちんの決断を全面的に肯定していたら、どこかひっかかりの残る読後感になってしまっていたかもしれないのですが、このお友達のおかげでかなり救われたところがあったと思います。