『フラクション』
私がこれまで認識してた駕籠さんってこういう感じだったもので、いきなり大真面目にミステリー語りをはじめた本作にはたいそう面食らいました。それも「ちょっと興味が出てきたから描いてみた」なんてものではなく、十年来ミステリーを読み耽ってきた人が書いたような密度。元来これだけはっちゃけてる人なのに、まだ牙を隠してたのかと驚くばかりです。
私たちはミステリー漫画を読んでいたか
本作のせいで、私がこれまで読んできたミステリー漫画の多くは「ミステリー小説」の発想を漫画媒体に移植しただけなんでは、という疑問を覚えてしまいました。
二軸構成になっている本作の片軸として描かれるのは、漫画における叙述トリックの可能性をめぐる講義的な談話です。ここで語られるアイデアはいずれもありえない意外性に富んでいて、本作が今年のバカミスアワードを受賞したのも大いに納得できるところなのですが、よく考えてみると、それほど荒唐無稽なことを言っているようにも思えないのです。
ここで描かれていることはむしろ、漫画媒体の性質を利用して叙述トリックをやれば当然こうなるであろう、ごく自然な思考の帰結のようにも思えます。にも関わらず、そのアイデアに驚愕し、あるいは大笑いして、バカミスの名まで与えてしまう。そういった反応は、読者の発想がいかに「ミステリー小説」の発想に固定されていたかを示しているように思えました。そういう土壌に毒されず、こういう爆弾をあっさりと投げつけてしまえる駕籠さんは、やはりただ者ではないのだなとも思いますが。
ジャンルシフトを目指す鏑矢
駕籠さん初読という人は驚くかもしれませんが、彼の普段の作風、猟奇虐殺お祭騒ぎ的なそれを念頭に置くと、本作はたいへん"大人しい"地味めな作品になっています。殺人鬼は普通に陰鬱なサイコさんなので茶目っ気がありませんし、殺人シーンにも現実的な人間の重みがあって、凶器をひと振りしたら臓物ぶちまけながら人体が爆散するような賑やかさはありません。そもそも、そのへん歩いてる一般人がみんな変態というわけでもなく、ごくごく普通の常識人によって社会が営まれている時点で、これまで私が読んできた駕籠さんの作品と比べると異質な作風に思えます。
つまり本作は非常に現実的な雰囲気*1になっていて、一般層……とは言わないにしても、普段の駕籠さんのメイン読者層とは明らかに異なる層を意識して描かれていることが明白です。「いつもの駕籠さん」を求める向きには物足りないところではあるのですが、作中で駕籠さん自身が明言している通り、「エログロ漫画家」の枠*2を破るための鏑矢として、まずは一発放たれたという感じの作品なのだと思います。