修辞的表現に頼らない数学パズル小説 - 竹本健治『フォア・フォーズの素数』

フォア・フォーズの素数 (角川文庫)

 短編集なのです。冒頭からオチのない詩のような作品が出てきたり、暇な学生がひたすらカレーを作り続けるお料理SFが入っていたり、「四大奇書作家」のイメージとはやや毛色の違う、バラエティに富んだ作品集です。かと思えばトリック芸者シリーズとかえらい懐かしいものが出てきたりもするので、わりとお得な一冊という感じ。

 素晴らしかったのはやっぱり表題作で、ひたすら数学パズルの話が続く作品です。「4つの"4"を使っていろんな数字を作ろう」というアレ。数学パズルが何か別の事件のヒントやメタファーになってるとかいうパターンでもなく、本当にひたすら計算し、数式を並べていって、パズルの解答そのものがオチになる作品なのです。なにせ数学パズルの問題をそのまま扱っているのですから、論理性の面でこれほど厳密なミステリーもないでしょう。

 数学的思考の美しさ、面白さを表現しようとする作品はそれなりに例がありますが、どうしても文学的修辞に頼ってしまいがちです。素数を「孤独な数字」とか言ってみたり、双子素数を「友愛の象徴」みたいに語ったり。でもそういう表現って、数字を別の何かに喩えることによって情感を「付与」しているのであって、数学が持つ性質そのものをダイレクトに語っているわけではありません。オイラーの等式のように存在そのものが刺激的な数学的性質に対しても修辞的表現を加えようとしてしまう*1のは、作家の業であるかもしれません。

 本作が好ましかったのは、そういった「外から付け加えるような」修辞的表現があまりなかったことです。数学は数学として独立したままでも十分面白いのであって、そこにわざわざ人間側の持ち寄った表現を被せる必要はない、という美観はありえるでしょう。4が2つあるだけで0や1や8や16が作れる。√を被せれば2になり、"!"を添えれば24になる。そうやって無数の数を作り出していく営み自体が楽しいし、試行錯誤の過程は冒険的ですらあります。

 パズルの数学的性質はラストで主人公の感情と結びつきますが、この鮮やかさも相当なものです。ここにあるのは人間が数的なものに向ける感情そのものであって、間に何か別のものが差し挟まれているわけではないことが、やはり徹底しています。むしろ「人間の抱きえる感情が数学的性質によって比喩されている」と見ることもできて、これは前述した例とは矢印が逆方向に向いたものです。

 思えば『匣の中の失楽』や『ウロボロス』シリーズは、論理のねじれそのものが感覚のねじれとなって人間に襲いかかってくる作品でした。『フォア・フォーズの素数』は「ねじれ」を表現しているわけではありませんけれど、論理と感覚を直結させている点ではやっぱり共通するものがあります。「論理による感覚表現」って実は存在して、そういうものは文章的な修辞表現を追求するだけではきっと見えてこないものなのでしょう。だとすれば、ミステリーやSFが人の感情を惹き続けているのは道理ですし、竹本さんはその方面でも特に熟練した「表現者」の一人なのだと思います。