『銀河英雄伝説(3)』

銀河英雄伝説〈3〉雌伏篇 (創元SF文庫)

 さんさつめ。天才は天才でも、ラインハルトの人とヤンの人の天才性の違いが色濃く表れてきたなあと。

 ラインハルトの人は苛烈にして冷酷な天才的覇者ですけれど、その下には数多くの才能溢れる部下たちがいます。人を従える支配者として有能である、という面は当然あります。でもそれだけではなく、実務はもとより、親しい者たちによるの精神面の助けが彼を支えてもいます。周囲に盛り立てられるからこそ天性の覇者でいられる、そういう脆い一面がこの人には確かにあります。だから、ヒルダさんにしてもオーベルシュタインさんにしても、「ラインハルトの精神的状態を慎重に配慮している」点では同じです。(どちら側に安定させようとしているか、の方針は真逆ですが)

 一方のヤンの人は、朴念仁ながらもいちおう人当たりのいい、温厚な小市民的良識人です。部下たちとのやりとりも、能力主義でピリピリしたラインハルト勢とは比較にならないほどアットホームな雰囲気。なのですが、ヤンさん自身は実はあんまり人の助けを必要としていなくて、いきなり宇宙の果てに飛ばされたとしても、またそれはそれで見事な功績を上げそうな気もします。根本的に、彼は自律した天才なのだと思います。

 ……というような話は、昨年のMYSCON忘年会で聞いた話であって、ぶっちゃけ私が自分でした分析ではないのですが、実際に読んでみるとたしかにその通りです。これが普通の感覚だと、「人に盛り立てられて才能を発揮する天才」であるラインハルトを「部下に優しい温厚な人間」と位置づけ、「自分自身で完結した孤高の天才」であるヤンをこそ「冷酷苛烈で美男子の完璧超人」の役回りにしそうなところです。そこがあえて逆になっているのも、この二人の天才から奇妙に人間的な面白味を引き出す要因になっているのかな、と思います。

 ついでに、MYSCON忘年会では「ヤンはラインハルト以上の天才だけど、権力を握って常に戦略レベルでものを考えているラインハルトとは違い、下っ端のヤンは無能な上司に上から命令されて戦術レベルで動くしかない。そのレベルの差があるからこそ、ラインハルトはようやくヤンと互角に戦えるのだ」みたいな話も挙がっていました。たしかにヤンの人にはちょっと冗談じみた有能さがあります。特に今巻の中盤戦なんか、彼自身は別になーんにもしてないのに、「向こうにはヤンがいるぞ」という存在感だけで敵を翻弄したりとかしてる。つくづく、天才を描くのが上手い人だな、と思いましたのでした。