スピリチュアル系ミステリ? - 中井英夫『虚無への供物』

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)
新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)

ドグラ・マグラ』『匣の中の失楽』に続いて、いわゆる「四大奇書」を読むのは三冊目です。文体から論理からの全てが幻想的な酩酊感を与えてくる『ドグラ・マグラ』とも、「破綻させるための論理」を積み重ねていく『匣の中の失楽』とも性質が異なり、一読した限りでは*1わりとまとまった作品に思えました。文章はきわめて読みやすいですし、事件の真相もおおむね一意的に定まり、「幻想に迷い込んで虚実も分からぬ」という感じではありません。「奇書」とやらも一枚板ではなく、意外と懐が広いのだなと思うなど。

「どの辺が奇書か」という話はひとまず置いておいて、基本的にMMRとかムー系のトンデモ伝奇みたく、無茶な推理を無茶といわない世界観に半笑いになりながら読んでいました。アリバイやらトリックやらの話をしている間はいいのですが、動機とか象徴の話になった途端、登場人物の推理が物凄い方向に飛んでいきます。衒学・オカルト的な偶然の符合の発見に騒然とし、ノストラダムスの四行詩よろしく「これは暗合だ!」と言い出してそこに「必然性」を見出してしまう思考……スピリチュアル的というか、「意味の中にこそ事実が宿る」といわんばかりの論理展開には、読んでいて正直頭がくらくらしました。(別にそこが奇書のゆえんというわけではないのでしょうが……)

 とはいえ、最後まで読んでみると、「意味の中に事実が宿る」というのはあながち皮肉でもなく、むしろテーマに沿った必然だったとも見え、ちょっと襟を正しました。厳然と存在する無味乾燥な「事実」に抵抗するため、そこに人間的な意味を与え物語を編み出そうとする切実な意志こそが、本作の底に流れる根本的な思想なのですね。現実を生きる人間がその観念に従って本当に行動を起こすかどうかはともかく、問題意識としては非常に頷けるものではあります。で、この問題意識ってうみねことも通底しますよね……っと私好みの話に繋げたくなるのですが、それはまあ別の話なのでまたの機会に。

 さて、本作が「アンチミステリ」の代表みたいに言われるのは、ラストのあの辺の自己批判ゆえであることは間違いないだろうと思います。「真の犯人は××だ」という提言はミステリーの文脈的に面白いところですが、前述したテーマと絡めると、「物語は事実の当事者が救われるためにこそ紡がれるべきもので、外野が面白おかしく語り立てて悦に浸るためのものではない」っという告発にも見えます。ミステリー小説に対する「読み」としては、あまり順当ではないのでしょうけれど、「事実に意味を見出してしまうこと」の業の深さについて、あれこれ考えてしまう作品でありました。

*1:「奇書」というイメージからすれば。