『セピア色の凄惨』

セピア色の凄惨 (光文社文庫)

 地の文がなく、会話劇と独白劇で構成された異色の短編集……といいたいところですが、小林さんの小説ではこういったスタイルが頻出するので別に珍しくもありませんね、はい。「相手と話がぜんぜん噛み合わないのだけど、向こうの意見にも一見矛盾が見あたらないから、論破することもできない」系。これもいつも通りといえばその通りなのですが、本書では根本的なテーマが特によく統一されているため、各編の面白さ、異常さがより浮き彫りになっているかなと思います。

 本作各編の語り部たちは、ごく一部の価値判断基準が極端である以外、きわめて真っ当な人間として設定されています。人並みに娘を愛していながら、身体を動かす面倒くささがその愛を凌駕してしまった人、とか。彼らは決して人としての感情が"欠けている"わけではなく、論理的判断力も決して人に劣ってはいないのですが、ある特定の価値判断が結局全てを歪ませます。

 受け容れがたい言動をとる人を見た時、私たちは彼らが「間違っている」ことを望むわけですが、本作に登場する狂人たちは見事に誤謬を避けています。「狂人には狂人の論理がある」みたいな言い方はよくされますが、小林さんの描く狂人は"彼らの価値基準に照らし合わせる限り"においては、たしかに完璧に合理的なのです。だから反論の余地はないし、多くの場合はそれが妄想だと糾弾することすらできません。結果的に、相対化された価値観の置き方以外に彼我の差はないことを思い知らされて、たいへん居心地が悪くなります。

 短編集全体としてのラストシーンは、思いのほか叙情的なところに落ち着いてびっくりしました。『臓物大博覧会』収録の「攫われて」なんかもそうでしたけど、小林さんは散々グロをやった後に突然感傷的な独白で締めたりすることがあるので、この落差がシーンの美しさを鮮烈に引き立てているところがあるのかなと思います。基本的に文章の美しさがどうこうって作家さんではないのですけど、なかなか器用なところもあるんですよね。