与太話と呪術的思考の楽園 、『幻想再帰のアリュージョニスト』が楽しいという話

 クリスマスまでのアドベントカレンダーに合わせて毎日誰かがブログなどを書いていく文化があるそうで。私の周りでもゆらぎの神話・アリュージョニスト・アリスピ Advent Calendar 2016
というものが立ち上がったので、安直に参加させていただきました。ゆらぎの神話とかアリュージョニストに絡むなら何書いてもいいらしいので気軽にいきます。

 ゆらぎの神話・アリュージョニスト読者向けの企画ではありますが、せっかくなので今回はアリュージョニスト未読者でも読めるような書き方をして、紹介記事を兼ねたいと思います*1。アリュージョニストの面白さって色々な方向に伸びてるので、人に紹介するとき上手くテーマを絞れず散漫になってしまいがちなのですが、今日は「アリュージョニストは与太話をしていい土台が丁寧に作られてて楽しい!」っていう話をします。

与太話は楽しい、でも取り扱いが難しい

 まず一般論として、公の場で根拠も検証も乏しい雑な思いつきを断定的に吹聴するのは好ましいことではありません。雑な大きさの主語、雑な社会反映論、雑な世代論、雑な経験則、雑な業界裏話、雑な創作論、雑な時事ネタ、雑な教養。「何でも言ってみることで議論が深まる」的な主張も見かけますが、そんな思いつきがバズっても大抵は誤った情報が流布するだけですし、本当に「議論を深める」ために使われるはずだった識者の時間と労力は、既に決着が着いた古い話題やデマの解消のために浪費されていきます*2

 一方で、私は内面の良くないボンクラ種の人間なので、根拠も検証も乏しい雑な思いつきを考えなしに早口で捲したてるのはメチャクチャ楽しいぞ、という気持ちがあります。何かと何かのあいだに因果関係を見出す遊びはある種の人々にとって強烈な快楽があって、物語の楽しさってかなりこの感覚と関連があると思うのですが、快楽そのものを目的とする場合は事実関係が二の次になってしまいます。何かそれっぽい理屈を見つけて社会を切るのは気持ちいいぞ、という話なのですが、フィクション作品を深読みしてやたら理屈をつけたがる遊びもまさにこの一種です。こういうことする人間はどうにも周囲から煙たがられてそうなイメージがありますが、太陽や月はどうしてあるの? みたいな疑問に因果関係を付与する神話とかいう遊びは大体どこの文化圏でも昔流行っていたので、割と一般的な話でもあるのだと思います。

 今日び、特に日本では神話伝説のたぐいは概ね架空の話として扱われていますし、フィクション作品を深読みする遊びに本気で目くじら立てる人もそんなにいないと思います。とはいえ、「作者の意図はこうである」みたいな話になってくると「実在する作者」に関する「真偽」が問題になってきますし、歴史的事実とフィクションの境界についての認識なんて多くの人にとってかなり曖昧です。作品から作者・読者の欲望や現実社会の象徴を読み取ったり、歴史作家のもっともらしい話を鵜呑みにしたり、架空のキャラクターから受けた印象を現実の属性集団に対する認識に反映したりといった事例は日常的にいくらでも存在するはずで、フィクションとて現実から切り離された自由な楽園ではありません。

 デマとかたいそうな話までいかなくとも、ある作品についてあることないこと深読みして牽強付会な「意味」をやたらと吹聴するのは、本来あまり品の良いことではない、と思います。雑な読みを禁じる法などありませんし、作品の書かれた背景や作者の発言などの周辺情報で虚偽を述べない限り何をどう読もうと勝手なはずですが、品が良いか悪いかで言うと、一般論として多分あまり良くはない。ある作品が無茶苦茶な読解で話のネタにされていたら、作者も読者もそんなに良い気はしないでしょう。別にそれで構わない、と考えるファイターはもちろん好きにしたらいいのですが、むやみに人に嫌われたくないのであれば、人前で発言するときは慎重になった方が賢明です。

 ただしこれはあくまで一般論なので、むしろ作品そのものがそんな胡乱な概念の集積みたいな構造をしていて、深読みや思いつきの雑語りにものすごく相性いい作家や作風、そしてそんな胡乱な話題を大いに楽しんでしまうファン層というのが一部には存在します。いえ、それを雑語りと言ってしまうのは本当はちょっと違うかも知れず、雑な中にも外してはならない筋とか倫理みたい何かが作品ごとに(あるいは人ごとに)ある気がするのですが、そこはちょっと文章化が難しいので置いとくとして*3、つまり私のTLでよく「与太話」とか呼ばれてるアレの話がしたいわけです(とか言われても私のTL知らない人は困ると思いますがとにかくアレなんですよ)。

 最近の有名どころだとFGOとか忍殺あたりでこの手の与太話が大量に観測できて、実際に作者の中の人々がどう思っているかはともかく、大枠として「与太話していい文化」がファン層(の一部)の中で形成されています。多くのファンが集まってどんどん深読みを重ねていくという状況自体は『シン・ゴジラ』なんかも近かったと思うのですが、あちらはモノがモノなだけに現実の日本と照らし合わせて現実に接続した社会論的な文脈で語られることが圧倒的に多く、ここで言っている「与太話をあくまで与太話として積み重ねていく」感じとは少し毛色が違うものだったのかなと思います。そして、その些細な違いが、与太話を与太話として楽しむ上では大事なのかなとも。

与太話と呪術

 前置きが長くなって申し訳ないのですが、ここでようやくアリュージョニストの話になります。先ほど与太話ができる作品としてFGOや忍殺を挙げたわけですが、アリュージョニストもまたそういう土壌を培うことに成功した作品のひとつだと思っています。FGOや忍殺についても色々あると思うのですが、そっちは詳しい人が別にいっぱいいると思うので、今回はアリュージョニストの話をします(このあたりから私の喋り方が早口になる)。

 未読の方向けに紹介しておくと、『幻想再帰のアリュージョニスト』の舞台であるゼオーティアという世界は呪術の原理に支配されていて、「アナロジーの誤謬が物理法則を屈服させる呪術の世界」「似ているものは同じものである」といった表現で説明されます。ゼオーティアでは「それっぽく語られたもの」は実際「それそのもの」なので、比喩表現が現実を改竄し、認知バイアスが実際の因果関係を生み出します。この時点で私たちの暮らす「どんなにそれっぽくても違うものは違う」地球とは世界の根本法則が異なるわけですが、「それっぽい」「語り」によって世界が形成され改竄されていく性質は、ことさら「与太話」に適しています。というかゼオーティアにおいて、「与太話」は呪術そのものです。だって「深読み」によって何かと何かの間に因果関係を見いだせば実際そこに因果関係が生じ、なんかもっともらしい屁理屈を早口で撒くし立てて「それっぽさ」を演出できれば実際に現実を改竄できるのがアリュージョニストの世界なのです。

 ここが呪術の法則に支配されていない猫の国であることを除けば、私たちがTwitterとかで日常的に繰り返している与太話も同じ性質のものだと言えます。どんなに雑で根拠に乏しい思いつきでも、とりあえず勢いさえあれば呪術の法則に則って現実に作用しうるので、アリュージョニスト世界では呪術的言辞として一定の意味を持つ言葉になります。かくしてアリュージョニスト読者のTLには与太話が溢れ、「アリュージョニストの架空のアニメ感想をツイートし続ければいつか現実が改竄されて実際アニメ化される」とか、「アリュージョニストと女児アニメには様々な共通点があるからアリュージョニストは実質女児アニメである」とかいった胡乱な話が無限に生成されていきます。なお「アリュージョニストは実質女児アニメ」という呪文は実際に現実を改竄することに成功しており、今年の春頃から本編が地下迷宮アイドル活動編に突入しました。アリュージョニスト読んでくれ頼む。

 なんかアリュージョニスト読者のことを目玉グルグル回した狂人の集団みたいに説明してしましましたが、作品本編からして「キーボードをメチャクチャ早く叩くことによって凄腕ハッカー感を演出し呪的サイバー戦で有利に立つ」「アイドルがポーズをキメることで存在感が高まり呪的な爆発が生じて敵が吹っ飛ぶ」みたいな胡乱な描写がドカドカ出てくる話なので仕方ありません。こんな紹介の仕方ばっかりしてると悪ふざけの過ぎるギャグ小説みたいに思われそうでアレなんですが、この作品は「崇高なものと低俗なものの価値を転倒させて等しく並べる」展開を繰り返し描いています。大真面目な顔をして悪ふざけを繰り返し、あまりに異常な光景の連続に感覚が麻痺して謎の感動で笑えてくるのがアリュージョニストの面白さだと私は思っていて、まあつまりアリュージョニスト本編がそもそも高度な与太の塊なわけです。

 アリュージョニストには、はてな村の住民好みの悪いインターネット的な呪術も頻繁に出てきます。雑な議論を巻き起こしアクセスを稼ぎまくることで存在承認を得て強大な呪術師になるとか、捏造した伝統が広まって人々に承認されたら過去が改竄されて歴史的事実になるとか、それっぽい理屈でぶち上げた疑似科学は実際に効力を発揮するとか、批判意見を一切耳に入れない無敵のアカウントが自分の死すら認めず不死身の肉体で突撃してくるとか(大迷惑)。「見るも無残な地獄インターネットであった」みたいなパワーワードも出てくるので皆どんどん使っていきましょう。

 まあこの通りかなりアレな話題が多いアリュージョニストなんですが、呪術的思考があくまで呪術的思考と強調して描写されているのがこの作品のポイントです。認知バイアスや偏見、主語の大きな話題やゴシップが今もそこら中に蔓延していることから分かるように、呪術的思考は決して旧世界の遺物ではなく、21世紀の日本においてなお日常的に存在するものです。しかしアリュージョニストでは、そういう認知の歪みがいちいち「呪術的思考」として指摘され、その上で呪術世界の法則に従って現実に影響を及ぼします。逆に言えば、呪術的思考をすんなり現実として受け容れるのではなく、「あっこれ呪術的思考だ」と意識する過程がなければ、アリュージョニストの呪術描写は全く楽しめないわけです(ちなみに脳がアリュージョニストになってくると、現実の生活の中にも似たような呪術的思考が遍在していることに気がついて「あっこれアリュージョニストで見たやつだ」とか言い出す人間になったりします)。

 面白いことに、呪術の面白さを描けば描くほど、呪術の論理を強調すればするほど、現実世界においてそれは決して合理的な考え方ではなく、認知の歪みや詭弁に属する類の話だと裏付けられることになります。私もアリュージョニストの話題に絡めて益体もない与太話、明らかに理屈の捻くれた詭弁、筋の通らない冗談をTwitterや私生活で垂れ流しているのですが、こういう発言を与太話、笑い話として扱えるのは、アリュージョニストの「呪術」の枠組みがそこに一線を引いてくれているからです。身の回りのアリュージョニスト読者はだいたいこの辺の文脈を共有してくれてるので、アリュージョニストに関してはかなり胡乱度の高い与太話をしても許してもらえるのですが、考えなしに他作品を同じような手つきで扱うと、多分誰かに怒られるでしょう(まあ結局はそれを誰が聞いてどう思うかなので、その手の発言しても全然オッケーという場や人間関係を築けてさえいれば、特に支障はないのだと思いますが)。

楽しい与太話ライフのために

 そういうわけで、胡乱な与太話を自由に満喫できるアリュージョニストたのしい! という話でした。ただこいう話を「呪術はあくまで呪術、与太話はあくまで与太話」と割り切って枠の中で楽しむ分には問題ないのですが、はっちゃけすぎて枠の一線を越えるようなことがあれば、それは本当に単なる雑な放言になってしまいます。男性性を励起する社会呪術を行使するために行われる「テンプレ的な男根主義的ふるまい」の描写とかをはじめ、作中ではほとんどネタか呪的廃棄物みたいな扱いでも、その文脈から一歩外に出ると相当ヤクい取扱危険物と化す話題がアリュージョニストではいっぱい扱われていて、私たちが遊んでいるのはそういう危険な代物だということは肝に銘じておいた方がいい、かもしれません。

 こんな話をするのは、私たちに与太話の場を与えてくれているアリュージョニストの「呪術」の枠組みが、それ自体はかなり丁寧に「メチャクチャな話をしてもいいように」作り込まれたものだと感じているからです(別にそれを目的として作られたわけでもないでしょうが、結果として)。アリュージョニストというとても面白い作品が用意してくれた貴重な場を、不用意なやらかしで台無しにはしたくありません。特に、雑な放言のたぐいが文脈を越えてどこかに飛び火してしまうような事態は避けたいものです(そういう雑な言説に傷つけられ、立ち向かうような展開も、アリュージョニストは描いてきたわけですから)。

 なんか最後フワッとしたまとまりのない話になってしまいましたが、書きたいことはだいたい書けた気がするのでこんなところです。私はアリュージョニストで「与太話」という概念がようやく身についた気がしていて、それまでは作中世界独自の理屈とかを「設定」という側面でしか捉えられていなかったのではないかと思っています。たとえばアリュージョニストを読む前にFGOをやっていたら、「与太話」の感覚がよく分からなくて今みたいにげらげら笑いながら楽しめていたかどうか分かりません。この概念のおかげで特定種の作品を二倍、三倍楽しめるようになったと思うので、そういう意味でもアリュージョニストとの出逢いは素晴らしいものでした。冗談抜きで、視座がひとつ増えたという感じです。これからもどんどんアリュージョニストの与太話をしてきたいし、与太話のできる作品を見つけたら安直に手を伸ばし、与太の環を広げていきたいです。他作品の与太話勢におかれましては、これを機会にアリュージョニストの呪術と与太話にも興味を持っていただければなあと思います。

*1:普通に書いてても手癖でなんかそうなってしまったりする。

*2:一波乱起こして話題を集めた後は徹底してアフターケアに務め、寄せられた批判をまとめた上で誤情報の訂正をきっちり周知し、次の議論に繋げていくようなスタイルが有効なことはもしかしたらあるのかもしれませんが、こういう責任の取り方はそれはそれで多大な労力がかかるので、雑な話をただ連発してる人には当てはまりません

*3:ここいちばん大事な話な気もするけど説明できないので仕方ないのです。