情緒が発達してメチャクチャになる『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
京アニってそれほど追いかけてこなかったんですが、本作はたまたまTVシリーズを見て気に入っていた作品でした。幼くして兵となり情操を育む機会のないまま成長してしまった主人公ヴァイオレットが、終戦後に手紙の代筆という仕事に就き、同僚や依頼人との触れ合いのなかで情緒を培っていくというのがTVシリーズの大まかな筋書きです。いわゆる「感情のないキャラクター」が感情に目覚めていく類型で、そういうパターンの作品自体は珍しくありません。どちらかというと苦手なケースの方が多いくらいなのですが、本シリーズがヴァイオレットの情緒を扱う手つきは私の好みでした。
最初は人の細やかな感情どころか、冗談や皮肉すら理解できないヴァイオレット。ただし記憶力や思考力は人並外れて高かったため、恋文や物語などの「例文」をたちどころに記憶して、「模倣」できるようになっていきます。あっという間に人気の代筆者となり、恋文作成などの依頼が殺到するのですが、当のヴァイオレット自身はパターン認識で文章を再構築しているのに近い状態で、自分が記している手紙に込められた感情の意味をよく理解していません。それでも、持ち前の愚直さで依頼人の思いを熱心に聞き込んだり、あれこれと事件に巻き込まれるうち、自分の中にもどこか当てはまる感情が存在することに気づき、自分と他人の情緒に対して少しだけ理解を深める。そういうことの繰り返しが、本作で描かれたヴァイオレットの変化でした。
本シリーズ、アニメーション演出としてはかなりベタな感動物語なのですが、感情が感情としてはじめから無条件に存在する普遍的な概念ではなく、他人の「観察」や「模倣」を経ることで自分の中に渦巻く情動に後から名付け・位置づけを行っていくような現象であるという風に(結果的にでも)描かれているのは私にとっては大変好ましいポイントでした。もっともTVシリーズ完結後の特別編や外伝映画ではヴァイオレットの情緒がある程度成熟していたため、彼女自身の変化よりも依頼人と手紙にまつわる「良い話」の方に焦点が当たっていて、多少の物足りなさを感じてはいたのですが……。
その点で行くと、今回の劇場版は久々にヴァイオレット自身の物語であり、その完結編と言える内容だったので、いちばん見たかったものが見られたと言えます。代筆の仕事にもすっかり手慣れ、依頼人の気持ちをちゃんと実感のある感情として汲み取ることのできるようになったヴァイオレットだけど、「海への崇敬の念」みたいな未挑戦のジャンルには相変わらず疎くて、まずは図鑑を徹底的に調べるところから始めるのがやはり彼女らしい。名実ともに情緒溢れる文章の名手となっても決して成熟しきったわけではなく、まだまだ変化の途上にあるという姿を見せてくれたのが嬉しいです。
代筆のおり、依頼人の感情について「少しわかる」という言い回しで共感を示しているのも良いですね。代筆である以上、「完全にわかってる」つもりで書いてしまうとそれはもう嘘の言葉だし、とはいえ自身の中に思い当たる部分がないわけではない。そういった人の感情の複雑さへの理解を踏まえた上で出てくるようになった言葉で、良いです。自他の感情の理解に比べると、感情表現の方はまだまだこれからという感じですが……。
ていうか今回、みんな赤ちゃんじゃありませんでした? TVシリーズではヴァイオレットの情緒の未成熟さに焦点が当てられてましたけど、今回の映画は大の大人でもぜんぜん成熟しきれとらんやんけ! って後半頭抱えながら見てました。ヴァイオレットが成長したことで、大人のように見えていた周囲の面々の未熟さが浮き彫りなってきたということだとは思うんですが、佐官クラスの軍属経験者ともあろう連中が揃いも揃って眠たいことを! あんたら全員赤ちゃんか?! ヴァイオレットの方がよっぽどシャンとしとるわ! みたいな気持ちが今思い出してもふつふつと湧きあがってきますね。
終盤に至っては、これまで長い時間をかけて情緒を育んできたヴァイオレットが遂に感情を爆発させるのは当然の流れとしても、他の連中まで情緒の制御がどんどんムチャクチャになっていって……。ここまで来るとヴァイオレットと他の大人たちが情緒面で完全に対等の立場で場を掻き乱していったので、私はとても良かったと思うんですが、なんかもう映画としての尺の使い方とかも破綻スレスレのところまで行ってませんでした? 純粋に「綺麗な話」にするならもっと余韻の残るかたちで美しく終わらせるところだし、京アニの脚本力ならそれができるはず。でもそれをやらないで、人間の感情のグダつきに尺やシナリオが合わせていくような面妖な構成になっていった気がします。ていうか次に何やらかすか分からない赤ちゃんを見守ってハラハラする保護者の気持ちでしたね! 私はとても良かったと思います(強調)。
感情が振り切れた結果、そこまでの停滞をぶち破って勢いのままに突入するクライマックスは常識外れとも言える渾身の映像で、やはりメチャクチャ見応えがあるんですが、これも綺麗に編集された美しいシーンと言うよりは高解像度カメラで長回しした実録生放送をノーカットでまざまざと見せつけられた印象でした……。実際は映像の隅々にまで作為が行き届いた、この上なく計算され尽くしたシーンだと思うんですが、見てるこっちからすると現実の光景だってこんなデタラメな解像度で舐め尽くすような眺め方しないでしょと思うような高密度の映像で、そこが終盤のパワープレイに近い展開と相まって……まあ凄かったです。観賞後は、映画の余韻というよりもっと強引な力で殴り飛ばされた感じで、少しクラクラしました……。
というわけで、鑑賞前は思いもよらなかったのですが、繊細に組み上げられた芸術品というよりは、迸る何かが枠組みを超えて溢れ出したたような印象を受ける作品でした。はっきり言えば、最初は少佐にまつわる後半の展開はそのものが蛇足だと思っていて、鑑賞前もそういう展開が来なければいいなと思っていました。それは私が本作を基本的に「美しい」作品と捉えていて、であるなら失った過去を胸に秘めながら前に進んでいく物語のほうが美しいと思っていたからです*1。
でもなんか、そういう話ではなかったんですよねこれ。蛇足は承知の上で、理想と違おうが何だろうがことの顛末を想像の余地も残さぬほど克明に描き切ってやるぞ、みたいな方向に舵が切られていて、なんで!? とは思いましたが、ここまで徹底的にやられたら、まあええか……という気持ちになりました。いい大人だと思ってた人間も赤ちゃんだったし、そうなると蛇足だと思っていたものの意味合いもまるっきり変わってきますし……。後から振り返ると、クライマックスのハチャメチャに向けてしっかり構成が組まれていたというのも確かにそうですし……うん……。いい映画だったと思います……。
*1:まあそもそも単純なハッピーエンドルートに進んだとして、拾った少女を兵士に育て上げて戦争が終わったらそのまま傍に置いて……みたいな構造そのものがヤバヤバのヤ〜バなので、その意味でもできんやろとは思ってましたが……。