『とくまつ』清涼院流水

とくまつ 夜霧邸事件 (徳間デュアル文庫)
御大、もう作家やめちゃえ♪ (誉め言葉)
「♪」なんて生まれて初めて使いましたよまったく。さて、以下も延々と誉め言葉が続きますよー。
「壁に投げつけられても仕方がないな」と思える本って、未だにこの人の作品でしか出会ったことがありません。これに「館ミステリー」なんてオビをつけて堂々と市場に流してしまう御大と出版社は本当に度胸がありますね。仰天ものです。とにかく「清涼院流水という作家がどういう作品を書くか」をよく理解している人以外には正直お勧めできません。「1000人瞬殺」とありますけど別に1000人が同時に殺されるというわけではないので、そこのところは注意です。
物語の開始は前作の直後から。フレアさんとクレアさんの性格の違いとかはぜんぜん説明されないので、前作のことをある程度覚えてないと差別化は難しいかもです。今回も見開き二頁でワンシーンという物語の形式が続きますけど、シーンごとの間隔は任意なのでちょっとだけ融通が利くようになりました。これで重要なシーンも何頁かに渡って描写できるようになっています。
それにしても今回は酷いです。いつにも増して酷い。(誉め言葉ですよ) 『コズミック』並に酷いです。「解決編で脱力させる前に、これだけ読んだという適度な手ごたえを味わわせる」ためだけに出題編が存在したんじゃないかと思えるくらいです。たしかに出題部分が20貢くらいじゃそれほどの感慨はなかったでしょうし、500頁もあったとすれば逆に徒労感の方が勝ってしまいます。そういう意味ではこのくらいの長さが丁度良かったのかもしれません。
あとがきにも色々書いてありましたけど、この人は人命を軽視するというよりも人間を軽視してますよね。それに去年の流行語大賞候補みたいな言葉を嬉しそうに使いまくっているあたり言葉も軽視しています。(誉めてるんですって) この点では西尾維新さんとはまさに正反対という感じです多分。もはや何がなんだか分かりません。大きく分けて他人より秀でていることを売りにする人と欠けていることを売りにする人とがいるわけですけど、そういう意味では御大はかなり後者に傾いてると言えるでしょうね。主に節度とか自制心とか良識(常識でなく)とか!
……以上べた褒め終わり。ここまで本気で誉めてるので突っ込みっこなしです。
あとがきで、作中で大量の人間が死にまくることについて「他人の死で生命の儚さを感じた時にだけ、人は自分の生のありがたさを痛感できます」みたいな主張をされてましたけど、こればかりは真面目に賛同できません。意図的に描写をしない=人間を記号として書く御大のスタイルでは、たとえ何千人何万人が死んだとしてもそれは統計的な「数字」でしかなくて、そこに事件の凄惨さや命の尊さを感じる余地はないはずです。少なくとも、無闇に死人の数を増やことに事件の凄惨さを際立たせるという効果はないものと考えます。*1(それに死「だけ」が命の尊さを知る手段という主張にも無理を感じますし) この点に関しては人命の尊さを主張するためだなんて自分に言い訳せず、話を面白くするためだと素直に言うのが作家としての誠実な態度ではないでしょうか。みたいな。

*1:たとえば、彼のほかの作品で400万人の人間が死んだと知ったときよりも、名前のあるキャラクター一人が死んだときの方が衝撃はずっと大きいです。