たのしい神話(3-2)「主人公と【紀】について」

 うあー、だいぶ間が空いてしまいましたよ。前の記事はこれ。小説「遺された紀憶」を神話的に読み解いていこうという試みなのでした。今回の本文該当箇所はこのへん

 まずお話は、「ロボットのような何か」である主人公が故障するるところから始まります。「ロボット」と明言できないのは、作中でそういう言葉が使われているわけではありませんし、実はロボットとはまったく別のものである可能性もあるからです。とりあえず、少なくともヒトよりはモノに近い存在であることは間違いないようですけれど。

 この物語は、主人公が「紀億装置」に書き留めた日記という形で描かれます。「紀億」とは「記憶」に類似する概念であると推測できます。「紀能」という単語にしても同様ですけれど、これらが「記憶」や「機能」ではなくこのように和訳されている理由は何でしょう。

 神話的に、【紀】(和訳の際に原文の「キュラギ」という語に対応させた当て字)という言葉には「なんかちょう凄いもの」といった意味ないしイメージがあります。「スーパー」とか「ウルトラ」とか「テラチート」とか「光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる」とか、なんかその辺のニュアンスと思ってもらえれば結構です。

 ただし原義的には、【紀】には「上位世界の神々の力」「矛盾を許容し並行世界を統合する視点」「宇宙の物理法則設定を変更する権限」といった意味あいがあるようです。主人公の「父親」として言及されている「G」なる人物は一説では創造神の一人*1とも考えられているので、「紀憶」がより原義的な意味での【紀】性を持つと推測することもあながち間違いではないかもしれません。

*1:後の記事で詳しく述べます。